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旅行記 ・善光寺 − 長野市 2015.01
善光寺
善光寺 本堂(国宝)
善光寺(ぜんこうじ) 善光寺は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院。山号は『定額山』(じょうがくさん)。山内にある天台宗の『大勧進』と25院、浄土宗の『大本願』と14坊によって護持・運営されています。住職は『善光寺上人』と呼ばれ、『大勧進貫主』と『大本願上人』の両名が務めます。
焼香台と本堂(正面・南側)
特徴として、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられています。また、女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性の救済(女人救済)があげられます。三国渡来の絶対秘仏の霊像と伝承される丈一尺五寸の本尊『一光三尊阿弥陀如来像』が、本堂『瑠璃壇』厨子内に安置されています。 
本堂の東側の境内風景
その姿は、寺の住職ですら目にすることはできないとされ、朝の勤行や正午に行なわれる法要などの限られた時間に金色に彩られた瑠璃壇の戸張が上がり、瑠璃壇と厨子までを拝することが通例とされています。七年に一度の御開帳には、金銅阿弥陀如来および両脇侍立像(前立本尊)が絶対秘仏のご本尊の分身として公開されます。
本堂裏側(北側)の風景)
絶対秘仏とされている本尊は、欽明天皇の時代 552年に百済の聖王から献呈されたものとされ、紆余曲折を経て推古天皇の命により本田善光の手で初め飯田市に、次いで現在地に遷座したと伝えられています。『善光寺』の名は、この本田善光の名から付けられたと伝えられ、また初めに遷座したとされる場所には元善光寺が現在も残っています以上 善光寺 - Wikipediaより
日本忠霊殿・善光寺史料館
本堂の北西にある日本忠霊殿
日本忠霊殿・善光寺史料館 戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国唯一の仏式による霊廟。1階には善光寺所蔵の什物を展示する『善光寺史料館』が併設され、絵馬などを通して全国に根付く善光寺信仰の歴史を垣間見ることができます。
雲上殿
本堂裏(北側)から眺める雲上殿
雲上殿 善光寺平を一望できる大峰山の中腹にあるお堂で、善光寺に古くから伝わる納骨・分骨の風習を受け継ぐために建てられました。堂内の霊壇・霊龕(永代使用可能な簡易墓)は宗派を問わず利用できるそうです。内仏殿には善光寺如来様の分身仏が祀られ、納骨された縁故者のために日々追善法要が営まれています。
山門(三門)
山門(三門)
山門(三門)(重要文化財) 寛延三年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門。大正年間の葺き替えによって屋根は檜皮葺きとなっていましたが、平成14年から19年にかけて行われた平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。
鳩字の額 楼上には輪王寺宮筆の『善光寺』と書かれた額が掲げられています。3文字の中に鳩が5羽隠されていて、通称『鳩字の額』と呼ばれています。さらに、『善』の一字が牛の顔に見えると言われ、『牛に引かれて善光寺参り』の信仰を如実に物語っています。その他、善光寺にまつわる慣用語として、『遠くとも一度は詣れ善光寺』『堪忍信濃の善光寺』『善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り』などが知られています。
 
濡れ仏(延命地蔵)
 濡れ仏(延命地蔵菩薩座像)
濡れ仏(重要美術品) 享保七年(1722年)に完成した、高さ 2.6メートルの延命地蔵菩薩座像。六十六部(日本全国を行脚する巡礼者)の供養のため、法誉円信が広く施主を募って造立したものです。江戸の大火の火元として処刑され、のちに歌舞伎や浄瑠璃の題材となった『八百屋お七』の冥福を祈り、恋人の吉三郎が造立したという伝説もあります。
六地蔵
六地蔵
六地蔵 わたしたち衆生が輪廻を繰り返す地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の6つの世界(六道)に現れ、迷いや苦しみから衆生を救ってくださる菩薩様です。宝暦九年(1759年)に浅草天王町祐昌が願主となって造立されましたが、昭和19年に金物供出に出されてしまいました。現在の六地蔵は昭和29年に再興されたものです。
大勧進 
大勧進 
大勧進 大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、大本願の上人(しょうにん)と共に善光寺住職を兼ねています。貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。大勧進には本堂の万善堂の他、無量寿殿・不動堂・地蔵八角円堂・紫雲閣・宝物殿・僧侶が修行をする聖天堂などがあります。
大勧進
仲見世通り
仲見世通り(仁王門を振り向く)
仲見世通り 善光寺の仁王門から山門までの、約 200mにわたる石畳の通りは、仲見世通りと呼ばれ、いわゆる門前の商店街です。この仲見世通りには、両脇になんと約60店ものお店がひしめきあっています。お土産物屋、そば屋、まんじゅう屋、仏具屋、信州特産品屋、写真屋、旅館など、おみやげ屋さんから飲食店まで様々なお店があります。
仲見世通りから山門を見る
石畳 境内地入口から三門下までの 400メートルに敷かれている石畳は、正徳四年(1714年)に江戸中橋の大竹屋平兵衛より寄進されたものです。当時の敷石の枚数は7777枚だったといわれています(現在は6千枚強)。平兵衛は寄進後出家し、『道専『』と名乗り、そのお墓は善光寺山内の向仏坊の墓地に現存しているそうです。
参道(仲見世通り)を横切る道路の風景
仁王門
『定額山』の額が掲げられた仁王門
仁王門 仁王門は宝暦2年(1752年)に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは大正7年(1918年)に再建されました。この門には善光寺の山号である『定額山』の額が掲げられています。 仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作であり、その原型は善光寺史料館に展示されています。
 
阿形(写真左)と吽形(写真右)
口を開いている仁王像が『阿形』(あぎょう)で、口を閉じている仁王像が『吽形』(うんぎょう)ですが、善光寺の仁王像は、通常とは逆で、左側に阿形、右側に吽形が置かれています。左側の阿形は左手に金剛杵を持ち右肩を上げ、右側の吽形は、左手を振り上げて右手をまっすぐのばしています。
仁王門から山門を見る
 大本願
大本願
大本願 大本願は創建以来、尼公上人をもって住職とし、代々皇室関係の方々が入山されています。今日では、大本願の上人(しょうにん)のみが法灯を継承されており、大勧進の貫主(かんす)と共に善光寺住職を兼ねており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。大本願には、本誓殿・奥書殿・明照殿・表書院・光明閣・寿光殿・宝物館などがあります。
大本願
宿坊
堂照坊(親鸞聖人二百日逗留の宿坊)
宿坊(しゅくぼう) 本来宿房は、僧侶のみが宿泊する施設でしたが、平安時代の寺社参詣の普及により、貴族や武士、更には一般の参詣者も宿泊させるようになり、運営者も僧侶から寺院周辺の半僧半俗の経営者に移っていきました。江戸時代になると、お伊勢参りや善光寺詣で大衆化し、各地の大寺社には宿坊が整備され、一般の参詣者や観光客を泊めるようになりました。
常円坊(宿坊)
善光寺は、天台宗の大勧進と浄土宗の大本願の2大寺があり、その下に大勧進の25院、浄土宗の14坊の合わせて39の宿坊があります。宿坊それぞれに御堂があり、住職がいます。住職は、善光寺如来様に奉仕し、その護持に勤めると共に、全国からの参拝者の接待、世話をしています。
堂明坊(宿坊)
善光寺の宿坊に泊まると、(1)早朝から行われる『お朝事』へ案内してもらえる、(2)『お数珠頂戴』に参列することができる、(3)精進料理を味わうことができるという3つの醍醐味があるそうです。お数珠頂戴は、法要を勤める導師がお朝事のために本堂へ進まれる際に、参道でひざまずいて待っていると手に持つ数珠で頭を撫でてもらえるものだそうです。
善光寺境内地入口
【参考にしたサイト】
(1)信州善光寺公式ホームページ
(2)
善光寺 - Wikipedia
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