♪トロイメライ(夢)
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旅行記 ・雪の日の田の神さぁ − 鹿児島県  2010.12.31
雪の日の田の神さぁ
山崎麓の田の神(薩摩郡さつま町)〜寛政5年(1793年)
2010年の大晦日は未明から雪が降り始め、鹿児島県郡部で25cm以上の積雪になりました。南国鹿児島では珍しいことなので、早速本ホームページの管理者の自宅周辺の田の神さぁを撮影に行きました。
    
神官型の田の神さぁ。背後は藩政時代の屋敷跡の石垣
鹿児島で『麓(ふもと)』といえば、藩政時代に郷士と呼ばれる武士たちが定住してその地域の統治を行った集落です。山崎麓のこの田の神さぁの背後には、かつて麓の屋敷だった石垣が見えます。
     
珍しい『女人像』の田の神(薩摩川内市入来町下手)〜大正15年(1926年)
案内板
そんななかで、入来町下手の田の神は珍しい女人像の田の神です。長衣を着流し、頭巾風にシキを垂らしてかぶり、右手には手鏡のようにメシゲを持っていて、顔はたおやかな表情をしています。
田の神様(さぁ)は、鹿児島を中心とした旧薩摩藩領(鹿児島県本土および宮崎県南部)の田んぼのあぜみちなどに見られる石像で、現在、約2000体が確認されているといわれます。
雪に煙る民家を背景に・・・
田んぼをやさしく見守っている雰囲気です・・・
     
船木の田の神(薩摩郡さつま町)〜平成16年(2004年)
この船木の田の神は、平成16年(2004年)に田んぼの農地改良事業の完成記念に制作された新しい田の神さぁで、コンクリートづくりで彩色もまだ鮮やかです。前にぶらさげている”藁筒(わらつと)”は、田の神講(たのかんこう)の祭りの際に餅を入れる入れ物ですが、いっぱい雪を頂いていました。
   
どっしりと鎮座する田の神さぁです。
    
鹿子田の田の神(薩摩川内市入来町)〜明和8年(1771年)
農民型の田の神さぁです。

田の神には、地蔵型・農民型・神官型などがありますが、農民型のこの田の神さぁは、自然石に四角形の彫りくぼみを作って浮き彫りしたもので、右手にメシゲ、左手に閉じた扇子を持っています。

鹿子田の田の神は、制作が1771年と案内板にあります。最古の田の神は1705年のものと言われますから古い方に入る田の神さぁで、240年の風雪に耐え、親しまれてきた田の神さぁです。
右手にメシゲ、左手に閉じた扇子を持っています。
久富木の田の神さぁ(薩摩郡さつま町)
久富木の田の神さぁは、日頃行き来する道路の交差点の脇にある田の神さぁです。農民型の田の神さぁですが、お腹辺りにもたくさん雪を頂いて、まるで”たぬき”のように見えます。本ホームページの管理者はかような雰囲気の田舎に住んでいるのであります。
 
編集後記
鹿児島県薩摩半島の西方約40kmの東シナ海上に甑島(こしきじま)が浮かんでいます。その甑島で毎年大晦日の夜、『トシドン』と呼ばれる伝統行事が行われます。秋田のなまはげに似た怖い面を被った男たちが子供のいる家にやってきて、『今年一年おりこうだったか?』『勉強をしたか?』『お母さんの手伝いをしたか?』などとたずねながら子供たちを震え上がらせ、最後に大きな年餅をくれます。子供たちを立派に育てたい、温かい地域ぐるみのこの行事は、2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。この行事を取材に行く予定でしたが、前年同様船が欠航になって2年連続果たせなかったです。今年の大晦日に期待したいです。『トシドン』の代わりに、雪の日の田の神さぁの撮影になりましたが、今度の年末年始の雪は鹿児島市内でも25〜30cm積もるという雪で、奄美大島でも積雪が確認されたようです。交通マヒなどの被害がでましたが、南国の人たちにとっては積雪は嬉しいものでもあります。
  
        
嬉しさに家族でつくる雪うさぎ   ワシモ
  
克服すべき課題が山積みの昨今、月並みな言い方ですが、うさぎがぴょんぴょんと跳ね飛ぶように、飛躍の年になって欲しいものです。(2011年1月05日) 
 
 特集/田の神さぁ
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