エッセイ  ・彼岸花        〔海有一さんの随筆〕   



 彼岸花の美しい写真を見せていただいてありがとうございました。彼岸花に関してはわたくしもある感慨を有しています。むかし書いた作品ですが、よろしかったら読んでください。



                      彼岸花


                                         海 有一


 曼珠沙華ともいう。この花は北原白秋の詩の一節といっしょになってわたしの記憶にある。詩集が手元にないから正確には記せないが「ごんしゃん、ごんしゃん、どこいくの」ということばが入った詩がある。


「とんかじょん」は良家の長男坊を指すが、「ごんしゃん」は良家の長女を指して呼ぶ。不義の子供を産んだごんしゃんが、死んだ子の墓参りをする場面を歌ったものである。その墓の横に彼岸花が咲いている。実際わたしも子供のころからこの花を見てきた。


子供の頃の記憶と白秋の詩の一節がいっしょになって、彼岸花は墓所に咲く花として整理されきた。


 先日、九大の講師が案内する山歩きの会に参加した。阿蘇外輪山の俵山に登りながら野に咲く花を見て歩いた。


 講師は命名の語源や由来を述べていく。マユミという樹木の語源を知った。ツクシアザミ、ヤマアザミ、ノアザミ、ヒメアザミの見分け方を教わった。アソキリンソウはよく知られているが、キュウシュウコゴメの真っ白な小さな花は初めて見た。


 下山して久木野温泉に浸かった。温泉からあがっても花の話はつづいた。秋の花から春の花に広がっていった。「先生、わたし、カタクリの花を見てみたい」「カタクリの花ね、可憐な花ですね」「雁俣山には群落があるんでしょう、来年連れてってください」


 隅っこでビールを飲みながら、わたしはさっき見た外輪山の可憐な草花よりも、薄紫のカタクリの花よりも、バスの窓から見た彼岸花のことを考えていた。


「彼岸花は、お彼岸の頃に咲きますから、彼岸花とよばれていると思っていらっしゃるでしょうが、それはそれでいいのですが、あの花は田圃のあぜ道や、お墓の周囲に植わっていますよね。ちょっと毒々しいですね。でもなぜ、田圃の畦に植わっている彼岸花が刈り取られずに育っているのか、不思議に思ったことはありませんか」


 彼岸花はユリ科の花である。株分けで増やしていく。根っ子の球根は毒を含んでいるが、水で何度も晒すと取り除くことができる。これを天日で干すと良質のでんぷんがとれる。水を加えて団子にして蒸すか煮ると食料となる。


「いざというときは、これを掘り起こして食べよ。そして生き抜け」


 むかしの百姓たちは飢饉になったら犬猫までも殺して喰ったという。現代の百姓たちもまた遠い祖先の声を聴いているのかもしれない。だから草刈りに際しても、あの花だけは残しているのだろうか。


 あの世のことを彼岸と呼び、この世を此岸という。彼岸花はこの世とあの世の境界に咲く花かもしれない。
                                       (1999,10,22)



 【注:この話をある人にしたら、「彼岸花の根っ子は毒を含んでいます。畦道に植えると、もぐらよけになるのです。そのため畦に穴を開けられないように昔から彼岸花を植えてきたのです」と教えてもらった。この話しを聴いたとき、「そうかあ、もぐらよけのほうが現実的で、ありうる話しかもしれない」と、その時思ったことを記憶している。】



【海有一さんの紹介】


 48才の頃から書き始める
 九州文学同人
 全作家同人
 1998年度の九州文学賞受賞 
 福岡市在住 
         
 『海有一の世界』 ホームページアドレス
 → http://members.jcom.home.ne.jp/1630030501/index.html



2003.10.06
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