♪ハープシコード協奏曲第5番
Piano1001

 
 
旅行記 ・台北の風景 − 台湾の旅(1)  2010.06
総統府
現在も中華民国総統府として使用されている旧台湾総督府庁舎(写真上)
日本統治時代に台湾総督府として建築された建物で、高さ60mの塔があるルネサンス様式の赤レンガ造り。戦時中に消失しましたが、修復され現在も中華民国総統府として使用されています。昨今の国際情勢の影響により、近隣にはミサイルが多数配備され、憲兵が小銃を装備し護衛にあたっています。
      
      
白色恐怖政治受難者紀念碑
 総統府の目と鼻の先にある公園ほどの広さの広場に『白色恐怖政治受難者紀念碑』という題字が書いてあるのに気づいたときはびっくりしました。国民党支配時の戒厳令下で犠牲になった本省人(台湾人)の人々を追悼する記念碑でした。
  
1945年に日本が敗戦すると、大陸から蒋介石率いる中国国民党政府の官僚や軍人が進駐してきて行政を引き継ぎましたが、1947年2月28日、本省人と外省人との大規模な抗争、いわゆる
『二・二八事件』が起きます。
 
白色恐怖政治受難者紀念碑(写真上・右下)
 この事件の際発令された戒厳令は40年後の1987年まで継続し、白色テロと呼ばれる恐怖政治によって、多くの台湾人が投獄、処刑されてきました。また、内外の批判によって国民党政府が漸く戒厳令を解除した後も、国家安全法によって言論の自由が制限されていた。今日の台湾に近い形の『民主』が実現するのは、李登輝総統が1992年に刑法を改正し、言論の自由が認められてからのことでした(1)
  
『白色恐怖政治受難者紀念碑』には、起造人/内政省営建署、竣工日期/2008年4月7日と記されています。
     
     
中正紀念堂(自由広場)
今も『自由広場』の扁額が掲げられている中正紀念堂の門(写真上)
中正紀念堂の門(写真上)
当初、蒋介石の実名である『中正』を紀念堂の名称としていましたが、2000年に発足した陳水扁政権は『脱中国、脱蒋介石化』を進める運動の一環として名称を『国立台湾民主紀念館』と改名し、『大中至正』と記されていた正門の扁額も『自由広場』に換えられました。しかし、2008年5月、国民党が政権復帰すると『中正紀念堂』という元の名称に戻されましたが、正門の扁額は『自由広場』のまま残されています。う。名、
故宮博物院などと並ぶ台北市の名所の一つである『中正紀念堂』(ちゅうせいきねんどう)は、中華民国の初代総統・蒋介石を顕彰して1980年に竣工。25万m2という広大な敷地に、高さが25mで屋根が八角形をした本堂のほかに、国家戯劇院や国家音楽庁、公園広場、休息所や回廊、庭園、池(光華池・雲漢池)などが併設されていて、市民の憩いの場となっています。
中正紀念堂の回廊(写真上)
中正紀念堂の本堂(左)と国家音楽庁(右)(写真上)
        
       
台北の朝
朝の通勤通学風景。中正紀念堂正門前で(写真上)
台北101(写真上)
『台北101』(写真上)は、台北のランドマークタワー。全面ガラス張りの近代的建築ながら、輪郭は伝統的な宝塔と竹節のイメージ。高さ509.2mで、地上101階、地下5階からなり、名前はこれに由来します。2007年8月までは世界一高い建築物でした(現在は、アラブ首長国連邦の超高層ビル『ブルジュ・ハリファ』(168階建て、最頂部 828.0m )が世界一。)
  
国父紀念館や中正紀念堂などの広場では、早朝老若男女が太極拳を楽しむ風景が見られます(写真右)。
台北の宿は、台北駅からMRTで一駅目の善導寺駅前に建つ『シェラトン台北』。早起きして、タクシーを拾って、台北101、国父紀念館、中正紀念堂、総督府に出かけてみました。スコールのような雨に見舞われた前日夕方とは打ってかわって快晴の朝でした。日本が一人に一台のマイカーなのに対して、台湾ではバイクが一人に一台。いずこでも、おびただしい数のバイクが、あたかも集団を形成しているかのように爆音を轟かせて走り去ります。朝の通勤、通学もバイクで(写真上)。
 早朝より太極拳を楽しむ市民。台北101近くの国父紀念館で(写真上)
鬱蒼とした一方通行の街路樹の中を車が走ります(写真上)。
          
          
忠烈祠
忠烈祠の門(写真上)
忠烈祠の広場で(写真上)
忠烈祠は、衛兵交代のセレモニーが有名で、陸・海・空軍より選抜された兵士が、1時間交代で大門と大殿を各2人ずつで守っています。任務に就くと1時間微動だにせず、瞬きも控えている。側には世話係がつき、ハンカチで衛兵の汗を拭いたりしてしています(青の制服が空軍、白の制服が海軍、緑の制服が陸軍の兵士)。儀杖兵の資格は、高卒以上で犯歴がなく、身長175cm〜195cm、体重65kg±1kgが条件で、その上に厳しい訓練が課せられ、それを成し得た者のみが儀仗兵になれるのだそうです(2)
忠烈祠(めいちゅうれつし)は、豪壮な中国宮殿様式の霊廟で、辛亥革命を始めとする中華民国建国および革命、抗日戦争などにおいて戦没した英霊を祀る祠で、中華民国国防部の管轄下にあります。日本統治時代は台湾護国神社が当地に建立された。その跡地に1969年に創建された。大門をくぐると中央広場があり、その奥に中国の宮殿様式の大殿があり、左右の文烈士祠、武烈士祠があります。武烈士祠には、革命・建国の為に亡くなった志士約33万人が祀られています。
 直立不動の衛兵(写真上)
衛兵交代式(写真上)。
          
          
故宮博物院
世界四大美術館の一つといわれる故宮博物院(写真上)。
故宮博物院は、世界四大美術館の一つといわれます。中国式宮殿を模した建物で、その収蔵物は中国の歴史を伝える美術品や文物など総数70万点あまり。そのため展示できるのはごく一部だけですが、それでもすべてを見て回るのに数時間かかります。有名な『翡翠白菜』や清朝時代の象牙の透かし彫り『象牙鏤彫提食盒』など興味の尽きないものばかりでしたが、ツアー旅行の鑑賞時間は2時間が精一杯でした。
          
          
フルーツとお茶
スイカも大きい!(写真上)
                 
お茶タイム。東方美人茶などの銘柄が(写真上)
古くは、楊貴妃が愛したことでも有名なライチ(レイシ)(茘枝)、輸出額世界第3位を誇るパイナップル、台湾バナナとして有名なバナナ。ブドウ、パパイヤ、スターフルーツ、スモモ、そして日本では高くてなかなかでが出ないマンゴー(芒果)など、台湾は、フルーツ王国。台湾旅行に楽しみの一つです。
 
写真は、台北市内の果物屋の風景ですが、西瓜(スイカ)は、1斤(キン)=600gが9.8元(30円)とあります。また、
愛文芒果(アップルマンゴー)は、赤く熟れた様子がリンゴに似ていることからその名が付いていますが、宮崎県産マンゴー『太陽のタマゴ』と同じアーウィン種です。600gで約90円ですから、とても安価です。
完熟マンゴー(写真上)
一方、台湾のお茶は、凍頂烏龍茶(とうちょううーろんちゃ)、木柵鉄観音、東方美人茶(とうほうびじんちゃ)といった半発酵の『青茶(せいちゃ、あおちゃ)』が多いです。青茶は、発酵度があまり高くないので、香り高く後味がほんのり甘いのが特徴で、香りはまさに台湾茶の命です。東方美人茶は、19世紀中の台湾・新竹で、ウンカの被害により商品として使い物にならなかった茶葉を用い製茶したところ、蜜のように甘くかぐわしい香りと味で評判になったのが始まりだそうです(3)。お茶菓子は蓮の実納豆(写真の左端の皿)が美味しかったです。
  
  
夜市
夜市は不夜城。逢甲夜市(台中市)で(写真上)。
歩道に、いろいろの品の屋台が並びます(写真上)
        
台北の観光地図を開くと、士林観光夜市(剣潭駅)、華西街観光夜市(龍山寺駅)、饒河街観光夜市(松山駅)、臨江街観光夜市(六張犂駅)、師大観光夜市(古亭駅)などとあります。但し、このページの写真は、台中市の『逢甲夜市』の風景です。
         
台湾では、宵っ張り(夜ふかしをする人)を『夜猫族(イェマオズゥ)』と呼ぶそうです。夜市へ繰り出すから、台北の人は、夜なかなか眠らないようです。夜市は毎日、夜7時頃からにぎわい始め、ピークは10時から深夜1時頃。
つい手が伸びます。逢甲夜市(台中市)で(写真上)
【参考にしたサイト】
(1)(2)(3) それぞれ、Wikipedia(ウィキペディア)の『二・二八事件』『国民革命忠烈祠』『東方美人茶』のページ
 レポート ・台湾 〜 ニ・ニ八事件
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