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旅行記 ・セビリア 大聖堂とアルカサル − スペイン(6) 2011.07
大聖堂とヒラルダの塔
(世界遺産)
大聖堂とヒラルダの塔。右端に見える建物は司教館
バンデラスの中庭(アルカサル)から見るヒラルダの塔
一方、セビリアのランドマーク的存在であるヒラルダの塔は、かつてのメスキータの尖塔でした。レンガ造りのスリムなこの塔は、アルモアド朝時代に建てられ、後の1568年にエルナン・ルイス2世によって上層の釣鐘部分が付け加えられました。この立派な先端には、ローマ時代の衣装を身にまとい、片手に楯(たて)、もう一方に椰子(やし)の葉を持った女の像がセビリアの街を見下ろすように立っています。地元の人々は、この像を『ヒラルディーヨ』(Giraldillo)と親しみを込めて呼んでいるそうです。
  大聖堂とヒラルダの塔
大聖堂は、イスラム時代の1179年頃にセビリアを中心とするアルモアド朝が築いたセビリア最大のメスキータ(イスラム教の礼拝堂、すなわちモスク)を基礎に建てられたキリスト教会です。世界でも、サン・ピエトロ大聖堂(ローマバチカン市国)、セント・ポール大聖堂(ロンドン)に次いで、スペインのトレドにある大聖堂と世界3位を競っている大聖堂です。コロンブスの墓があることでも知られています。上の写真の右端に見える建物は、セビリアの高位聖職者が暮らす司教館です。
アルカサル出口付近から見るヒラルダの塔
 インディアス古文書館(左)と台聖総(右)
インディアス古文書館(正式には、インディアス総合古文書館)は、セビリアの旧商品取引所に置かれている公文書館で、アメリカ大陸やフィリピンにおけるスペイン帝国の歴史を明らかにする上で、比類のない史料群が収められています。所蔵史料の価値もさることながら、この建物は、ルネサンス建築の中でも、落ち着いた佇まいを持つイタリア化したスペイン建築の例証として際立っているため、セビリア大聖堂、アルカサルとともに、1987年にユネスコの世界遺産に登録されました。
 
 インディアス古文書館前を行きかう人と馬車
 
アルカサル
(世界遺産)
アルカサルへの入口であるライオンの門(Puerta del Leon)
馬蹄アーチの名残りが感じられる門です
 
 スペイン南部の地図
【セビリアの歴史】スペイン南部に位置するセビリア地方も8世紀からイスラム勢力の支配下に入り、「イスビリヤ」と呼ばれるようになりました。諸国分立期には、セビーリャ王国が栄え、キリスト教徒のレコンキスタ(国土回復運動)の進展により、1248年にカスティーリャ王国のフェルナンド3世に征服されると、以降はカスティーリャ王国の主要都市として発展しました。セビリアは、大西洋岸から90km入った陸地にありますが、街中を流れる大河グアダルキビール川のおかげで海運が太平洋とつながっています。イタリアのジェノヴァ商人が貿易の拠点をおいて積極的な活動を行い、中世より港湾都市として栄えました。現在は、人口は70万人でスペイン第4位の都市(セビリア都市圏の人口は130万人)。アンダルシア州の州都、セビリア県の県都で、スペイン南部の政治、経済、文化の中心地であり、闘牛やフラメンコの本場で、スペインを代表する観光都市になっています。なお、セビージャ、セビーヤ、セビリャ、セビーリャとも表記されます。
イスラム時代の雰囲気を残す城壁
 門を入ればライオンの中庭(Patio de Leon)
植栽が多い中庭です。
アッバード朝、ムワッヒド朝の時代に拡張がなされ、13世紀カスティーリャによる征服の後も14世紀のペドロ1世を初めとする歴代の国王の手によって増改築が繰り返されました。中でも重要な国王は、『残虐王』とも『正義王』とも呼ばれるペドロ1世です。イスラムの服装をまとうほどイスラム文化に心酔していたペドロ1世は、このイスラム教徒の古城の重要性に目をつけ、これをムデハル様式の立派な城に改修しました。その後、16世紀の改修では、建築や彫刻もさらに充実し、素晴らしい庭園の数々が増築されていきました。今日、人形の中庭、乙女の中庭、大使の間などが、訪れる人々を魅了しています。
【アルカサルの歴史】セビリアのアルカサルは、スペイン王室の宮殿です。14世紀、カスティーリャ王国の国王ペドロ1世(在位1350〜1366年、1367〜1369年)の命により、イスラム時代の宮殿の跡地にムデハル様式で建設が始められたもので、グラナダのアルハンブラ宮殿を意識した構造になっています。また、15世紀から16世紀にも増築されたため、ゴシックやルネサンスなどの様式も混在しています。ムデハル様式は、スペインの建築様式で、残留イスラム教徒(mudajjan)の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイルです。アルカサルの歴史は、10世紀のアンダルス=後ウマイヤ朝時代(756〜1031年)に西ゴート時代(560〜756年)の教会の跡地に総督府を築いた時に遡るといわれます。
 城壁入口から見るファザード(正面玄関)
対称美が見事なモムデハル様式のファザード(正面玄関)
入場口の方を振り返るとイスラム時代の城壁が・・・
中庭右側の回廊部分。大理石が見事です。 
見事な装飾の石柱(写真左)と壁面の装飾(写真右) 
人形の中庭の天井
乙女の中庭から大使の間の入口を見る。アルハンブラ宮殿を思い出させます・・・。
アラベスク紋様が掘られたアーチが連なる乙女の中庭しい。
乙女の中庭(写真左)、光と影が演出を(写真右) 
大使の間上部
大使の間の馬蹄形3連アーチ
大使の間の馬蹄形3連アーチ(写真左)。壁面もアーチも天井も装飾が見事です。 
『大使の間』のヒマラヤ杉の天井
壁面の装飾 
広大な広さの庭には、ジャングルのように緑が生い茂っていました。
建物の壁面のデザインによくマッチした焼物です・・・。
 まさしくセビリアンブルーの青空(写真左)、マーキュリーの像(写真右)
マーキュリーの庭
 オレンジの木が植えられたバンデラスの中庭。ここから外に出ます。
        
【参考サイト、書籍】
(1) セビリア −Wikipedia
(2) インディアス総合古文書館 - Wikipedia
(3) ガイドブック『セビーヤ』(欧州連合・欧州地域開発基金)
 セビリア サンタ・クルス街とスペイン広場
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