♪わすれな草(リヒナー)

薩摩地方の初市 − 鹿児島県さつま町
                        
あちこちを訪れると、日本の北と南、都会と地方それぞれの自然や環境があって、それぞれの暮らしがあることを実感します。今回レポートするのは、薩摩地方のごくありふれた田舎町の初市の様子です。さつま町は、著者の住む人口約25,700人の町で、そこにはまたそこの暮らしがあります。薩摩地方の市は、著者が物心ついた昭和30年代の初めの頃から年末と2月の定例の日に開かれていましたから、少なくとも40年以上は続いていることになります。最近は、地方にもスーパーやコンビニ、ホームセンターや量販店ができ、買い物をする場としての市の必要性は年々薄れ、店を出す露天商の数も少なくなっています。そんな中で、今年も恒例の市が開かれました。著者の住んでいる町の紹介も兼ねて、町内山崎で開かれた初市の様子をアップロードしました。   (旅した日 2005年02月)

山崎の初市
今でも生活用品としての茶碗や皿などの陶器類(写真上左)、鎌(かま)、鍬(くわ)や鉈(なた)などの刃物(ほとんどが土佐刃物です)(写真下右)、屋敷や菜園に植える花木や実のなる木など(写真下左)、そして子供向けのおもちゃや食べ物(写真上右)が主体に売られています。
のどかに・・・
久し振りに快晴の良い天気で気温も上がった初市でした。サッカーボールやカラオケのマイクなどを持った今風の信楽の狸たちが、売られることを心配するふうも無く、日向ぼこを楽しんでいるようでした(写真上左)。招き猫は、乗せられてきたトラックの荷台がそのまま屋台になって陳列されています(写真上右)。田舎といっても、最近では、スーパー、コンビニ、量販店などがあって、ショッピング慣れしている子供たちですが、露店市にはそれなりの楽しみがあるようです(写真下・左右)
面影

市は、上の左の写真の交差点の向こうの道路上で約500mにわたって開かれました。昭和40年代初め頃までは、この地区のショッピング通りとして賑わっていた通りです。年季の入った店構えに往年の面影がしのばれます(写真上左、下左右)。鹿児島県内では、地方でもいたるところで「かるかん」の製造販売が行われています。小学校には、昭和62年(1987年)に廃止になった国鉄宮之城線の信号機などがモニュメントとして置かれています(写真上右)。

地頭仮屋跡と旧家の佇まい
山崎郷地頭仮屋跡(写真上右)。江戸時代、薩摩藩は領地を外城(とじょう)とよばれる113の行政区画に分けて統治しました(外城は、天明4(1784)年「郷」と改称されました)。郷の行政をつかさどる最高の役人を地頭といい、役所を地頭仮屋(または地頭館)と称しました。この制度は明治4(1871)年の廃藩置県まで続きました。郷には薩摩藩の直轄地と上級の武士の私領があり、山崎郷は、薩摩藩直轄郷の一つでした。写真上・左、下・左右は、地頭仮屋跡近くの旧家の佇まい。
【備考】著者の住む宮之城町は、こんな町です。

 さつま町役場ホームページ → http://www.satsuma-net.jp/


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