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旅行記 ・宮之城人形と初市 − 鹿児島県さつま町 2015.02
みやのじょうにんぎょう
宮之城人形
売る初市の日が待ち遠しかった・・・。笑顔がこぼれます。
本HPの管理者が
暮らしている鹿児島県薩摩郡さつま町の宮之城人形
(みやのじょうにんぎょう)
初市
(はついち)の様子です。
”故郷の香り漂う土人形”
初市は、鹿児島県内の各地で
1月から2月にかけて行われてきた恒例行事で、色とりどりの天神様や鯛持ち、立娘などの土人形が
並べて売られることから、『人形市』ともいわれます。
『天神』(学問の神様、菅原道真公のお人形)
薩摩では古くより、初節句には
子どもの健やかな成長を願って、親類縁者が初市で土人形を買って贈る習慣がありました。
土人形は、粘土を型に入れて素焼きをし、色をつけます。
左から、『立娘』『旅姿』『三番叟(そう)』『学生』
鹿児島県の土人形の歴史は、
文禄・慶長の役(1592年、1597年)に参加した島津義弘公が連れてきた朝鮮陶工たちが、
故郷をなつかしんで人形を作り始めたことに由来すると言われます。
『福助』は縁起物の人形。『三番叟』(右)は歌舞伎物です。
鹿児島県内には、帖佐人形(現姶良市)、垂水人形
日木山
(ひきやま)人形(加治木)、向花(むけ)人形(国分)、東郷人形(現薩摩川内市)、宮之城人形が
ありましたが、現在は、帖佐人形、垂水人形、宮之城人形が生産されています。
招き猫』も縁起物の人形
宮之城人形は、
宮之城屋地の松永仲次郎(1875〜1939年)が、東郷人形の作り手であった母方の
親戚に弟子入りし、東郷人形の製作を学びました。
『学生』は、その時々の風俗を反映した風俗物の人形です。
その後、宮之城に戻った仲次郎は、
独立して土人形を作り始めました。宮之城で人形作りを始めた時期は定かではありませんが、もっとも古くは、
明治24年(1891年)頃に宮之城人形を始めたとの説があるそうです。
『こま犬』は古来より魔除けとされました。左は『三番叟(そう)』。
 仲次郎は、下船木で粘土を採集し、
屋地で弟と共に土人形を作りました。製作は、昭和14年(1939年)に病気で亡くなるまで
続けられましたが、後継者がなく製作は途絶えてしまいました。
『立娘』と『旅姿』
また、県内の他の土人形も
時代の流れの中で途絶えて行きましたが、昭和40年(1965年)に帖佐人形が地元保存会に
よって復興され、後に垂水人形が復活しました。
『鯛抱き』などの人気人形はすぐ売れ切れました。
宮之城人形は、仲次郎の親戚の方々が大切に型を
保存していたことから、平成17年(2005年)に宮之城人形復興会ができ、約70年ぶりに復興しました。
今年は復興会のメンバー13人が、8月から137体を制作しました。
ちょうど10年前の平成17年に発足した『宮之城人形復興会』
初市
やはり市の一番の雰囲気はたこ焼きなど出店でしょう。
鹿児島県内各地で1月から2月にかけて
行われていた恒例の初市。昔から、初市の風に吹かれると風邪を引かないといわれ、また縁起物の出店が
多数並ぶことから、一日中身動きもできないほどの賑わいでした。
こちらは地元の高校生が実習で育てた花
しかし、昭和40年代には
町内(旧宮之城町、旧鶴田町、旧薩摩町)数か所で開催されていた初市も、時代の流れのなかで近年は
二か所で開催されるだけになり、規模も比較にならないほど小さくなりました。
そして、製造実習で作った豚味噌缶詰
かつて刃物や農機具、果樹の苗木などを売る店の
少なかった田舎で初市は、本格的な春がやって来ると必要になる鎌(かま)、鍬(くわ)や鉈(なた)などの刃物、
屋敷や菜園に植える花木や実のなる木の苗を調達する絶好の機会でもありました。
今でも刃物の出店は市に欠かせません。
初市の規模はめっきり小さくなりましたが、
今でも刃物屋と苗木屋は必ず一軒は店が立ち、客足が途絶えることがありません。昔ながらの雰囲気の残る初市
が終ると、三寒四温を繰り返しながらやがて本格的な春の訪れとなります。
苗木は相変わらず人気です。
【参考資料】
宮之城人形の説明については、宮之城人形復興会のパンフレット『宮之城人形 七十年の時を経て復興』(平成22年2月7日に発行)を参考にし、文章を部分転載させて頂きました。
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