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曽我どんの傘焼き − 鹿児島市
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鹿児島の三大行事の一つである『曽我どんの傘焼き』は、鎌倉時代に相模国の曽我兄弟が父の仇討ちを遂げる際、傘を焼いて松明がわりにしたという故事にちなんだ伝統行事です。五穀豊穣と洪水無災害の祈願とともに、武士の意気高揚と稚児(6〜15歳)やニセ(16〜25歳)の道徳教育を狙い、藩政時代には『郷中(ごちゅう)教育』の一環として行なわれていました。市内を流れる甲突川の川べりの櫓(やぐら)に積み上げられた和傘に火がつけられると、炎は夜空高く舞い上がり、夏の川面を赤々と焦がします。当初、7月22日(土)に開催予定でしたが、県北部の水害のため、一週間延期されての開催となりました。                                        (旅した日 2006年07月)



曽我どんの傘焼き
使い古しの500本の和傘が櫓(やぐら)に積み上げられ、火がつけられた後、稚児やニセたちによってさらに500本近くの傘が燃やされます。年々、和傘が入手困難になっていますが、全国から届けられた傘を使って祭りが続けられています。岐阜県の和傘振興会からは400本を送ってもらったそうです。


剣舞
午後7時半になると、鉢巻ふんどし姿の稚児とニセが曽我兄弟の唄を歌いながら登場して祭りは始まり、演舞や示現流などが披露されます。


示現流披露
示現流は、代々薩摩藩の門外不出の秘剣とされ、『一の太刀を疑わず、二の太刀は負け』と言われるように、初太刀にただひたすら己の気合いの全てをかけ、その後の相手の反撃などを一切考えない、斬撃に重点を置いた剣術です。


着火
午後8時20分、いよいよニセらによって着火です。


炎上
着火されると、積みあげられた傘は一気に燃え上がります。


炎に肌を照らされながら、稚児やニセたちが、500本近い和傘を投げ込みます。


藩政時代には、稚児やニセの道徳教育の一環として郷中教育に取り入れられていた行事でした。


【補遺】
『静岡県富士宮市に曽我兄弟の墓があります。
  → http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/e-museum/makigari/maindex.htm
それが、どうして鹿児島のお祭りなのでしょうか?』と言うお便りを頂きました。

この行事の歴史について、当日会場でもらったパンフレット(実行委員会発行)には、
先輩が後輩を教え導く鹿児島独特の『郷中教育』に取り入れられたのが『曽我物語輪読会』で、傘焼きは明治になって『学舎』に引き継がれてから行なわれるようになったものと思われる、とあります。
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