♪アルハンブラの想い出
MIDIクラシックギター

       
      
旅行記 ・ヘネラリーフェ − スペイン(2)   2011.07
ヘネラリーフェ
(世界遺産)
 ヘネタリーフェ入場口付近から見るアルハンブラ宮殿
第60回グラナダ国際音楽舞踏祭案内板
アルハンブラ宮殿を出てへネラリーフェに入場すれば、まず『野外劇場』が目に付きます。1952年に、古い農業用の建物の跡に造られたこの劇場は、グラナダ音楽祭の舞踏にうってつけの舞台で、ちょうど、第60回グラナダ国際音楽舞踏祭(6月24日〜7月12日)が開催されているらしく、案内板がありました。野外劇場を過ぎ、『下の庭園』(あるいは新庭園と呼ぶ)を散策しながら進めば、へネラリーフェの最初の建物であるポロの中庭にたどり着きます。下の庭園の左手は一段下がった果樹園になっていています。この段々畑は、用途が決らないまま今日まで残って使われています。カボチャが植えられていて、花が満開でした。
  ヘネラリーフェ 
アルハンブラ宮殿から北へ歩いて10分ほどの丘を登ったところに『へネラリーフェ』(Generalife)はあります。グラナダの王が宮廷の雑務からのがれて憩いの時を過ごす夏の離宮でした。14世紀の初めにイスラム教徒ナスル朝グラナダ王国のイスマエル1世(在位1314〜1325年)の時代に建設が始められました。キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)が完了した1492年から20世紀初めまで個人の所有だったため、庭園や建物は大幅に改修されていますが、シエラ・ネバダ山脈の雪解け水を巧みに生かした噴水や水路が配置されており、水と緑に囲まれたその美しい佇まいは訪れる人を魅了しています。
果樹園にはカボチャの花が咲いていました。
 ヘネラリーフェ入場口付近から見るアルバイシン
『アルバイシン』は、アルハンブラ宮殿の西にある、グラナダ市内でもっとも古い地区で、元々はイスラーム教徒のための居住区でした。白壁の家と石畳を特徴とし、その景観を壊す開発が禁じられています。1984年に、アルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェと合わせて、世界遺産に登録されました。
アルハンブラ宮殿から見るヘネラリーフェの離宮建物
アルハンブラ宮殿から近いため、宮廷の活動の場から非常に近い所にいて、緊急事態には速やかな対応をできるというメリットがありながら、自然とじっくり触れ合うのに必要な距離を保つことができた離宮でした。
 
下の庭園
糸杉やつる植物で設えた緑のトンネル
オレンジ、梅、びわなどの樹、灌木、草花など、豊富なその種類は160種類に及ぶそうです。緑のトンネルの小道は、グラナダの石畳の伝統を利用して敷かれています。白はダーロ川から、黒はヘニル川から採取した小石を使ったモザイクで、この細工は現在でも住宅や街の中の広場などに使われているそうです。
『下の庭園』の現在の造園は、1931年に始まり1951年に完成したものです。中世の庭の面影はないものの、当時、何の評価もされなかった場所が立派な庭園に生まれ変わりました。糸杉、銀梅花、黄楊などが垣として、蔓バラ、ぶどう、夾竹桃などが棚として使われています。
小道はグラナダ伝統の石畳
イスラム式庭園を連想させる池が配置されています。
 
ポロの中庭
ぶどう棚(カルメン)と蔓バラの棚があるポロの中庭
グラナダでは果樹園のある大きな庭をもつ邸宅を『カルメン』といい、表札には『Carmen de (名前)』と書かれているそうです。このカルメンという言葉はアラビア語で『ぶどうの樹』『ぶどうの蔓』あるいは『ぶどう棚』を意味する『カルム』からきており、それが転じて、街のなかにありながら、樹木とともに花や野菜や果物を栽培している土地や家屋を複合した邸宅を指すようになりました。 
オレンジの植え込みとアバカンサス
簡素な造りで、農事小屋の様相を呈していますが、アルハンブラのカギが尖頂アーチを飾る入口を入れば、ぶどうと蔓バラの棚がある中庭になっています。茶色と白の壁や敷きつめられた小石と棚や植え込みの緑のコントラストが良いです。
ヘネラリーフェの敷地に入場して下の庭園を奥へと進んで行くと見える最初のヘネラリーフェの建物が『ポロの中庭』です。『降馬場の中庭』ともいわれる名前は、ここが馬から降りる場所だったという想像からつけれたそうです。
白壁には蔓バラが
 
 アセキアの中庭
南から見る南棟、『王の間』と『見晴らしの塔』(写真上奥)。もっともよく保存されている建物だそうです。
南棟の建物は『元見張りの塔』。東壁のブーゲンビリアと蔓バラも印象的です。
北棟からみるアセキアの中庭
アンダルス建築に多勢を占める、外から見えない、内側を向いたいわゆる”閉じられた楽園”の伝統に従って、西側の壁には小さなバルコニー以外に窓はなかったそうです。北アフリカの砂漠からきたイスラムの王や民は、水と植物への憧れが強く、水と植物のある風景をこよなく愛しました。グラナダは地中海性気候のため降雨が冬に集中し、夏はアフリカ大陸からの熱風で気温が上昇し空気が乾燥するため、へネラリーフェは夏の離宮とされました。
『アセキアの中庭』は、50mの細長い池を囲むように花壇、噴水、柱廊が設けられています(アセキアとは”水路、掘割”という意味です)。アセキアの中庭は、この離宮で最も古いため、さまざまな改築がなされているにもかかわらず、アンダルス風庭園の様式を最もよく残しているといわれます(アンダルスとは、イベリア半島におけるイスラム勢力統治下の版図の呼び方)。噴水は後世になってつけ加えられたもので、これがなかったころはこの池も水鏡のなっていたそうです。
アセキアとは”水路、掘割”という意味です。
南棟と東壁。東西の壁は何度か改修され、内面に指向性を持つ内面主義とは異なったものになっています。
 
スルタナの糸杉の中庭
王妃と騎士の逢瀬に場だったと伝えられる『スルタナの糸杉の中庭』
 水の階段
掘割をU字型に配置し、その中に植え込みと噴水が置かれた『スルタナの糸杉の中庭』。このU字の池もナスル朝のものではなく、この中庭の本来の様子ははっきりわかっていないそうです。スルタナとは『王妃』のことで、本来この場所は、『王妃の中庭』と呼ばれていました。伝説によれば、アベンセラッヘス家の騎士が王の寵姫との密通を疑われ、一家が虐殺されるという事件が起きました。この場所は、その原因となった王妃と騎士の逢瀬の場であったと伝えられています。待ち合わせの場となった糸杉−現在は枯れ木となっています−が中庭に別の名前を与えました。
  アルハンブラの水利システム
アルハンブラから眺めるとどの風景も、ただそれだけで、創設者が自らの宮殿のためにこの丘を選んだ理由になるでしょうが、完璧な宮殿を造るためには水が足りませんでした。そこで、王宮都市を建設するにあたり、アルハンブラ宮殿の西を流れるダーロ川を6km遡った地点から取り込んだ水をネラリーフェへ引き込むための用水路−アセキア・レアル(王家の用水路)−が建設されました。『水の階段』(写真左)は、この地域に残っている、数少ないナスル朝の遺構です。水のこだわりは、液体で手すりを造り上げるという極みに達しました。
水しぶきが乱れ飛びます
スルタナの糸杉の中庭
 
 夾竹桃のアーチ
小道の両側に植えた夾竹桃(キョウチクトウ)でアーチを設えたトンネル。涼しい蔭を作ってくれていました。
BGMに使用しているギターの名曲『アルハンブラの想い出』(あるいはアルハンブラの思い出)はアルハンブラ宮殿を訪ねたスペインの作曲家・ギタリストのフランシスコ・タレガ(1852〜1909年)が、宮殿を流れる水の音律をモチーフに、1896年に作曲したといわれます。繊細で美しいトレモロの旋律が水の流れ、噴水の下垂りを感じさせます。
【参考サイト、書籍】
(1) グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン−Wikipedia
(2)
ガイドブック『アルハンブラ散策』
 アルハンブラ宮殿
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