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Blue Piano Man

           
          
旅行記 ・安芸灘とびしま海道 − 広島県呉市  2011.05
 
  あきなだおおはし 
 安芸灘大橋
本土とつながる、『安芸灘とびしま海道』の入口、『安芸灘大橋』(手前が下蒲刈島側)
安芸灘大橋は、平成12年(2000年)に開通した、本土と下蒲刈島を結ぶ橋長1,175mのライトブルーの吊り橋。安芸灘とびしま海道を一本の陸路につなぐ7つの橋のうち、この安芸灘大橋だけが有料になっています。
『安芸灘の風』を訪ねて
広島県呉市沖の安芸灘に浮かぶ下蒲刈島(しもかまがりじま)から上蒲刈島、豊島、大崎下島、平羅島、中ノ島を経て岡村島(愛媛県今治市関前村)へ至る7つの島は、平成20年(2008年)11月、上蒲刈島と豊島間に豊島大橋が開通したことで一本の陸路で本土とつながりました。7つの橋が結ぶこの陸路は愛称を『安芸灘とびしま海道』と命名されました。30年近く四国を拠点に活動している男性シンガー・ソングライターのレーモンド松屋が、それを記念して『安芸灘とびしま海道』のイメージソングとして作詞作曲した『安芸灘の風』は、知る人ぞ知る隠れた名盤となっています。その歌に魅せられて、『安芸灘とびしま海道』を訪ねました。 『安芸灘の風』を聴く 
        
しもかまがり
下蒲刈
高台から下蒲刈港を見下ろす(安芸灘大橋が見えます。その向こうが広島県本土)
急潮の三之瀬瀬戸の越しに下蒲刈島から上蒲刈島を見る(手前の大きい建物は松濤園)
    
しょうとうえん
松濤園
松濤園の入口と敷地を取り囲む白塀
『あかりの館』(旧吉田邸)
古くから瀬戸内海の海上交通の要衝として栄えた下蒲刈は、江戸時代に、朝鮮通信使が来日すると、盛大なもてなしで歓迎しました。『松濤園』には、そのときを再現・復刻した資料などが展示されています。『御馳走一番館』(朝鮮通信使資料館)、『陶磁器館』、『あかりの館』(旧吉田邸)、『蒲刈島御番所』があります。『あかりの館』には、世界各地の西洋ランプから日本の古い灯火器まで展示してあり、あかりの歴史を知ることができます。
      
かまがりおおはし
蒲刈大橋
下蒲刈島と上蒲刈島を結ぶ橋長480mの『蒲刈大橋』。昭和54年(1979年)に開通(向こうが上蒲刈島)
    
であいの館
蒲刈大橋を渡ってすぐのところにある『であいの館(であいの岬)』
であいの館(であいの岬)は、上蒲刈島に入って最初に出会う場所。蒲刈町の観光総合案内所であり、特産品販売所や喫茶コーナー、休憩所があり、展望台からは安芸灘、四国方面が望めます。

大浦港
上蒲刈島の東端にある大浦港と集落の風景
   
豊島大橋
上蒲刈島と豊島をつなぐ豊島大橋(左手が豊島で右手が上蒲刈島)
平成20年(2008年)11月、上蒲刈島と豊島(とよしま)間に豊島大橋(橋長903m)が開通したことで、岡村島(愛媛県今治市関前村)へ至る7つの島が一本の陸路で広島県本土とつながりました。陸路は『安芸灘とびしま海道』というの愛称が命名されました。
   
豊浜大橋
豊浜大橋は豊島と大崎下島を結ぶ3径間連続トラスト橋(橋長543m)。向こうが大崎下島。
 豊浜大橋の歩道の柵にはあび鳥を模した装飾が施されています(大崎下島側から見る)。
   
    おおちょうみなと   .
大長港
 みかんの花が満開の段々畑から眺める『みかん御殿』の家並と大長港。左手に北堀、右手に南堀が見えます。
大崎下島など6島によって構成され豊(ゆたか)町の基幹産業であるみかん栽培は、明治中頃に早生温州みかんの導入に成功したのが始まりで、現在では全国的に有名な『大長みかん』のブランドが確立されています。平地が少ないため、島では『ゲシ』と呼ばれる石積を築いて急傾斜地が造成され、段々畑が造られていきました。
 南堀に停泊中の『農船』
それでも耕作地が足らなかった豊町では、古くから島外に耕作地を求めて出かける『渡り作り』が行われてきました。大崎上島(広島県豊田郡)や大三島、岡村島(いずれも愛媛県今治市)など島外の畑への行き来や収穫物の運搬には、『農船』という5トン未満の木造船が使われ、昭和後期まで、大長地区の南堀と北堀にはびっしりと農船が浮かんでいたそうです(現在では主にトラックやフェリーが使われています)。
 北堀と南堀の奥は、みかん御殿がひしめく家並になっています。
したがって、大長港は、港でも漁業ではなくみかん栽培の『農村』の家並みの風景は形成されています。豊町は、現在では広島県一のみかんの出荷量を誇り、『黄色いダイヤ』と呼ばれたみかんで繁栄した大長には、『みかん御殿』と呼ばれる長屋門を構えた古くてりっぱな屋敷が並んでいます。 
安芸灘オレンジライン
中ノ島に掛かる中の瀬戸大橋(左)と岡村大橋(右)。『安芸灘オレンジライン』の愛称でも知られています。
       
みたらい
御手洗
千砂子波止(江戸時代からの防波堤)た高灯籠を有する御手洗の家並み
豊町の御手洗(みたらい)地区は、江戸時代中期から明治初期にかけて、瀬戸内海の沖乗り航路の潮待ち・風待ちの港町として栄えたところで、歴史的な町並みや貴重な歴史的・文化的史跡を有していることから、平成6年(1994年)に、『重要伝統的建造物群保存地区』に選定されています。
 岡村大橋を望む御手洗の家並みの風景(写真左)と高灯籠(写真右)
岡村島(愛媛県今治市関前村)のみかん畑から望む御手洗と大長(右手奥が大長)
 
安芸灘とびしま海道マップ
 
 『安芸灘の風』を訪ねて   豊町御手洗の町並み
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