コラム | ・雪つばき |
− 雪つばき −
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つい最近、『雪つばき』という題名の歌謡曲を知り、週1回カラオケ教室に通っている本メルマガの著者の只今の練習曲の一つになっている。『ゆきつばき』といえば断然、小林幸子・歌唱の『雪椿』であるが、この2つの歌謡曲は奇しくも1987年(昭和62年)、同じ年にレコード発売された。 『雪椿』(星野哲郎・作詞、遠藤実・作曲)は発売後からヒットし、NHK紅白歌合戦でも歌われるなどして小林の代表曲となった。演歌の中でも名曲中の名曲といっていいだろう。 一方、『雪つばき』(坂口照幸・作詞 市川昭介・作曲)は、大杉美栄子という歌手の歌唱で発売されたがヒットしなかった。しかしこの曲は、数奇な運命を経て、20数年後に復活を果たすのである。 『雪つばき』は、オリジナルが発売された翌年の1988年に、当時絶頂期にあった女性 演歌歌手・村上幸子がアルバムでカバーしたことによって世間に知られるようになった。ところが、村上は2年後の1990年に、31歳という若さで病死してしまう。 村上幸子は本名、鈴木幸子。新潟県村上市出身ということから村山の芸名が付いたのであろう。ユキツバキ(雪椿)は、暖地に分布するツバキと異なり、その名のとおり日本海側の雪の多い地帯に自生する椿で、新潟県の県木になっている。そういうこともあってか、村山はユキツバキをこよなく愛したという。 村上幸子が自ら勝負曲と位置づけたという『不如帰(ほととぎす)』が1988年にリリースされる。結核を理由に離婚を強いられ、夫を慕いつつ死んでゆく浪子と海軍少尉川島武男男爵との悲しい愛の物語を綴った、明治の文豪・徳富蘆花の小説『不如帰』をモチーフにした歌だった。 この歌は、歌詞中に『血を吐く・・・』という一節があり、当時昭和天皇が下血・吐血を繰り返し、危篤と小康状態を往復していたため、『時期的にも適切な表現とは言えない』という理由から放送中止(自粛)になったというエピソードを持つ。 村上はその翌年、喉部に大豆状のしこりが見つかり検査の結果、急性リンパ腫と診断され入院。リスナーなどから激励の手紙が多数寄せられたが、その甲斐も虚しく病状が悪化し、惜しまれながら1990年7月に死去した。 村上の『雪つばき』を聴いてみると、曲の心象を感性豊かに咀嚼(そしゃく)し、それを見事に昇華させ歌いあげている。美人というだけでなく、素晴らしい歌唱力を兼ね備えた歌手だった。 さて、村上の死去によって『雪つばき』は再び、村上のアルバムの中だけの、世の中から疎い存在の歌になってしまう。ところが、村上の死去から丁度20年の歳月を経た2010年8月に、大道マコという歌手によって再びカバーされたのである。三代目の歌手ということになる。 大道マコ。栃木県出身で年齢不詳。1971年(昭和46年)にキャニオンレコードよりデビュー。13年間芸能活動し、その後休止。2005年(平成17年)、徳間ジャパンより再デビュー。ということだから、それなりの年齢であろう。 2010年8月の通常版のリリースに続いて、2014年9月にギターバージョンがリ―リスされると、有線ヒット年間ランキングで2014年第2位、2015年第3位を記録。生命力を持った歌は、いつかまた誰かが命を吹き込んで再生され、歌い継がれて行くということであろう。大道マコの『雪つばき』を通常版で歌ってみた。
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2016.12.07 | ||||
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