レポート  ・「からすたろう」と八島太郎さんのこと   
− 「からすたろう」と八島太郎さんのこと 
「からすたろう」という絵本をご存知でしょうか? 作者は、八島太郎(やしま・たろう)という人です。おそらく、国内よりも国外で名の通った名前ではないでしょうか。「からすたろう」は、昭和初期の日本の農村風景の中に、日本タオルを頬(ほ)かむりしたり、雨の日には蓑(みの)にくるまって学校に通う子供の姿などが描かれている絵本ですが、原題を「 CROW BOY 」という、1955年にアメリカで発表された英語の絵本なのです。
 
ちびと呼ばれ、友だちからも先生からも無視され、バカにされ続けながら、それでも雨の日も、嵐の日も、一日も休まず小学校へ通う少年。ちびは、6年生に進級して初めて先生と交流を得ます。新しく赴任してきた磯辺先生という担任の先生です。
 
ちびがカラスの微妙な鳴き声を模写できる才能を持っていることに気づいた磯辺先生は、ちびに学芸会で発表することを勧めます。学校生活最後の学芸会で、ちびは得意なカラスの鳴きまねをして周囲の認識を一変させます。教育とは何かを問う絵本です。
 
1955年全米児童教育連盟最高賞、1954〜55年度米国版画協会顕著進歩賞などを受賞し、全米で高い評価を得、20年以上を経った1978年に日本語翻訳版が出版され、1979年絵本にっぽん賞特別賞を受賞しました。
 
・絵本ナビ「からすたろう」
   → http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=1920
 
・オンライン書店ビーケーワン:からすたろう
   → http://www.bk1.jp/product/00144788
 
画家・絵本作家、八島太郎(本名:岩松惇/いわまつ・あつし)さんは、振幅の大きい、波乱に満ちた人生を歩んだ人でした。鹿児島県の大隅半島を、桜島の付け根から鹿児島湾岸沿いに約50km南下したところに、根占(ねじめ、現南大隅町)という町があります。八島太郎さんは、1908年、根占の村医者の、いわゆる分限者の末っ子三男として生まれ、幼年・少年時代を根占の野山で過ごします。
 
中学校に進学し卒業後、画家を目指し上京。東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学しますが、軍事教練を拒んで退学処分に。日本プロレタリア美術家同盟に参加し、左派系の美術研究所で講師をしながら、風刺漫画などを書き続けたため、幾度となく検挙され投獄されます。
 
同じプロレタリア美術家同盟だった新井光子(結婚後、八島光)と結婚。身の危険を感じたことと、画家としての頂点を極めたいという思いもあって、息子のマコ(のちに、米国の俳優として活躍するマコ岩松)を妻・光子の実家に残し、1939年(昭和14年)妻とともに渡米します。
 
しかし間もなく、日米戦争の渦中に巻き込まれることになります。アメリカ政府の戦略要員として登用されると、沖縄侵攻作戦で日本兵に向けて投下する反戦ビラの作成に従事。一人でも多くの日本人を救うため、命の重要さを説き、「死ぬな」「銃を捨てよ」「戦争をやめよ」といったビラを書き続けました。
 
戦後は、南カリフォルニアに居を移し、絵画研究所を設立。後進の指導を行いながら、児童絵本の制作に打ち込みます。絵本のテーマは、つねに日本が背景であり、素朴なふるさとの物語を普遍化し、世界にメッセージを発信し続けました。児童絵本は、「Crow Boy(からすたろう)」の他に、1958年に「Umbrella(あまがさ)」、1967年に「The Seashore Story(海浜物語)」でコールデコット賞次席。
 
八島太郎さんの天分は、児童絵本にとどまらず、油彩・舞台装置・書・俳句の世界にまで発揮されたそうです。日本語を風化させてはいけないという思いから自由律の俳句を作り始めた八島さんは、60歳を過ぎてから、ロサンゼルスで「やからんだ乃会」という自由律俳句の会を立ち上げます。その会は「日本語を磨こう」、毎月の句会を通して、日常の日本語の研さんに努めることを目指したもので、2006年まで34年間続けられたそうです。
 
    やっぱり弟をつれた蝉とりがいる  八島太郎
    蝉の鳴き声が畳にしみ込む朝
 
45年間をアメリカで過ごしながら、日本人の心、暮らしや伝統の良さを忘れることののなかった八島さんは、どっぷりアメリカに浸かることも出来ない、かと言って完全な日本人に戻ることも出来ない、日米のはざまに生きた人でした。
 
「もう一度ふるさとを見て死にたい」、死ぬまで望郷の念を捨て切れなかったそうです。その願いも叶わぬまま、1994年、カリフォルニア州の自宅において85歳で死去。
 
              ***
                
八島太郎さんの生誕 100周年に当たる今年(2008年)、出身地・南大隅町では、記念事業が行なわれ、その一環として、「八島太郎―日米のはざまに生きた画家 」(単行本、創風社/2008年3月初版) を書かれた野本一平さん(アメリカ在住)の講演会が開かれました。このレポートは、その講演会で聞いた内容を要約し、一部ウィキペディア(Wikipedia )を参考にして書きました。八島太郎さんの2つの自由律俳句は、講演会で野本さんから紹介のあったものです。ふるさとの、少年時代の思い出に望郷の念が募る思いが切々と詠われているように思います。
 

【参考にしたサイト】
[1]八島太郎 - ウィキペディア
[2]番組構成師の部屋−『画家八島太郎〜慈しむ生命』
[3](社)横浜市幼稚園協会
[4]八島太郎―日米のはざまに生きた画家
[5]The Rafu Shimpo - L.A. Japanese Daily News
 

2008.11.26 
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