レポート  ・ 八重山見聞録   
− 八重山見聞録 −
今年(2010年)1月下旬に連れ合いと参加した沖縄県の八重山5島巡りのツアー旅行は、曇り空に雨がぱらつく天候で、青空を背景にした写真は撮れなかったですが、それでも有意義で楽しい旅でした。何よりも有意義だったのは、やはり、もう台湾がすぐ間近という南の果ての島が日本であり、そこに日本の暮らしがあるということを実感できたことでした。観光バスガイドさんに聞いた話し(ガイドさんが乗車していない場合は運転手さんが運転しながら案内)をまとめてみました。
 
  (1)15℃の寒波
 
八重山諸島の緯度は北緯24度。ハワイのホノルルとほぼ同じ緯度にあり、年平均気温が23.8℃という亜熱帯の島々です。最低気温が15℃以下の予報がだされると、おお寒い!ということになり、『寒波襲来』という見出しで地元新聞一面トップのニュースになるそうです。
 
ニュースといえば、八重山では、1960年(昭和35年)にNHKテレビが見れるようになりましたが、民放が見れるようになったのは、1993年(平成5年)以降のことだそうです。
 
  (2)セレブ和牛になる八重山の仔牛たち
 
八重山の島々では、温暖な気候を活かして、畜産業、特に牛の生産が盛んで、黒毛和牛の産地となっています。2000年に開催された沖縄サミットで各国の首脳に絶賛されたのを契機に、一定の条件を満たす黒毛和牛ブランド『石垣牛』が確立したそうです。
 
しかし、八重山で生れた牛の約8割は、生後8〜9ヶ月まで育てられた仔牛の段階で県外に売られて行き、『神戸牛』や『松坂牛』などのセレブ和牛として育てられるのだそうです。あなたが頂いているお肉も八重山生れのセレブ和牛かも知れません。
 
  (3)小中併置校
 
八重山諸島の島巡りの観光バスは、学校の前を通過するとき必ずと言っていいほど、ここは何々小中学校ですと案内をします。石垣島を除く島々ではほとんどが小中学校併置の小規模校です。例えば、西表小中学校(西表島)は児童生徒数25人、大原小学校(西表島)は46人、黒島小中学校(黒島)は21人、竹富小中学校は34人といったふうです。
 
どの小中学校も小規模ですが、校舎は鉄筋コンクリート造りで、こぢんまりとしていて綺麗だったのが印象的でした。高校は石垣島にしかないので、子供たちは14〜15歳という歳で親元を離れて寮で寄宿舎生活を送ることになります。お盆、正月も海が荒れると帰省できないときもあるそうです。そうしたハンディキャップを背負いながら、八重山の子供たちは頑張っています。
 
  (4)八重山商工高等学校
 
石垣島には、八重山高等学校、八重山農林高等学校、そして日本最南端の高校である八重山商工高等学校の3つの高校があります。いずれも沖縄県立の高校です。八重山商工高校が、 2006年春(選抜大会)・夏(選手権大会)の甲子園連続出場を果たし、全国の高校野球ファンを沸かせたことは、皆さんの記憶にも残っていると思います。
 
八重山地区には21校の中学校がありますが、そのうちの11校が小中併置校という状況の中で、県大会を制しての甲子園出場は、地元の人たちにとっては熱狂的なことでした。試合当日は島民はテレビにかじりついて、戸外は観光バスを除いて人っ子一人もいない状態になったそうです。
 
甲子園出場の原動力となった大嶺祐太選手が、2006年に千葉ロッテマリーンズに入団(2009年には実弟の大嶺翔太選手も入団)したのを契機に、石垣市や市民グループが同球団の石垣島キャンプを誘致し、現在一軍キャンプが石垣市内で実施されています。
 
  (5)石垣空港
 
沖縄出身の知人に八重山5島巡りに行くんだともらしたところ、石垣空港は危ないぞと威すのです。実際、1982年には南西航空(現・日本トランスオーシャン航空)のボーイング 737が滑走路をオーバーランして、炎上する事故が起きています。
 
事実、今回のツアーで乗ったボーイング 737も、急ブレーキをかけてとても荒い操縦で石垣空港に着陸しました。観光バスの運転手さんがこのことについて言及し、『皆さんは、下手くそのパイロットだと思われたでしょうが、実はベテランのパイロットで、しかも定期的な試験を受けて合格したパイロットなのです』と説明します。
 
ジェット機の離着陸には 2,000mの滑走路が必要ですが、石垣空港の滑走路は 1,500mしかないので、急ブレーキをかけて短い距離で停止する腕が要求されます。そこで、ベテランのパイロットを対象に定期的に試験を行い、路線の運航に充てているというわけです。
 
滑走路が短いためボーイング 737などの小型旅客機しか離発着できませんし、離陸時の重量制限のため燃料の搭載量が制限されており、石垣発の東京・名古屋・大阪便は目的地までの燃料を搭載できず、直行便でありながら燃料補給のために宮古空港や那覇空港を経由するという運用がなされています。
 
計画の二転三転の変更や反対運動など30年の紆余曲折を経て、2013年に現在とは別の場所に、郡民悲願の2,000m滑走路を持つ新石垣空港が開港することになっています。
 
  (6)サトウキビの花
 
八重山諸島の主産業は農業で、なかでもサトウキビがその主役ですが、サトウキビの花といったらどうイメージされますか。サトウキビは、イネ科サトウキビ属の植物ですから、同じくイネ科でススキ属のススキの穂のような花を枝の上に立ち上げるように咲かせます。ですから、一見サトウキビ畑は背の高い大きなススキの野原と見間違いそうです。
 
サトウキビの花は八重山地方に冬の訪れを告げる風物詩で、花が咲くとサトウキビの糖度が上がり、1月から3月がサトウキビの収穫時期となります。この期間、製糖工場は24時間連続運転の態勢となり、小浜島などでは島人総出でも人手が足りなく、他の島や沖縄本島から若いアルバイトの人たちが応援に来るのだそうです。
 
  (7)米の三期作
 
八重山地方の農業は、サトウキビと畜産(仔牛の生産)のほかに、石垣島や西表島、小浜島では稲作も行われています。同じ作物を年に二回栽培することをニ期作ということは、小学校の社会の時間に習いましたが、亜熱帯性海洋気候の八重山では、暖かい気候を利用して、現在でも一部の農家では、米の三期作が行われているそうです。三期作とは思いもよらぬことでした。
 
第1回目の田植えは、1月末〜2月に行われます。現に、1月下旬の今回の旅行では、小浜島や石垣島のいくつかの田んぼで、田植えの準備が進められていました。初植えの品種はコシヒカリで、この日本一早い田植えの稲は5月中旬に収穫されるそうです。東北の農家が深い雪に閉ざされれている時期に田植えとは、日本国土の南北への長さを実感させます。
 
  (8)イリオモテヤマネコ
 
西表島(いりおもてじま)の特別天然記念物イリオモテヤマネコ。オスメス各1体が生け捕られ、新属新種として命名されたのが、今からわずか40数年前の1967年(昭和42年)だったというのは意外でした。
 
普通の家猫と大きさはそう変らないぐらですが、足が短くしっぽが大きく、毛はマダラがあるそうです。現在 100頭前後が生息しているといわれています。イリオモテヤマネコは泳ぎが上手だそうです。というのは、西表島は40本もの川がある島なので、泳げないと広範囲で生息できないから、泳げるように進化したと考えられています。ちなみに、対馬のツシマヤマネコは泳げないそうです。
 
  (9)監視される飼猫
 
イリオモテヤマネコと飼猫との交配は確認されていないそうですが、危険性があるので家の飼猫は厳重に監視されているそうです。飼猫は放し飼いできないばかりでなく、登録制になっているうえ、体内にマイクロチップを埋め込められて監視されているそうです。
 
  (10)ヤマネコ注意、非常事態宣言
 
イリオモテヤマネコの交通事故死が毎年3件ぐらい起きているそうです。死亡事故が起きると地元紙の一面トップの大事件として報道されるそうです。1988年には沖縄県が『ヤマネコ注意』という看板を設置、2001年には『非常事態宣言』が出されました。
 
乗車した観光バスの運転手さんが、『運がよければこの先辺りでヤマネコに出会えるかも知れない』といって期待を持たせます。もしそうだったら、特に猫好きにはたまらないことですが、結局出会うことはなかったです。それもそのはず、当のベテランの運転手さんでさえ10年間に3回出会っただけという、めったに起こりそうにないことです。
 
  (11)ヤマネコの地下横断歩道
 
西表島をバスで移動中、ヤマネコ用のトンネルを掘っている最中だという道路工事に遭遇しました。西表島の道路には、イリオモテヤマネコが道路を横切るための専用のトンネル(人間世界でいえば、地下横断歩道)が掘られているそうです。地下トンネルには、監視カメラが取り付けられていて、実際にヤマネコがトンネルを利用していることが確認されるそうです。
 

2010.02.24  
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