一つの神社に、2つの鳥居が横並びに立つ珍しい鳥居を『並立鳥居』といい、鹿児島県肝属郡南大隅町根占の『川南諏訪神社』が全国的に有名ですが、先日の8月23日、川上踊を見に行った鹿児島県いちき串木野市川上の『諏訪神社』の鳥居も並立鳥居だったのにびっくりしました。
島津公が信州諏訪の諏訪大社上社・下社の両社を薩摩の総鎮守社として、現在の鹿児島市に勧請した際に、上社と下社を並列した形式で造営し、結果として鳥居も並立して建てられました。
その後、薩摩の各郷に同じ形式で分社が造られましたが、時代の変遷や経済的理由で一基の鳥居のみが建てられるようになり、また本殿も、上社と下社を統合した一つの社殿になりました。しかし、川南諏訪神社や川上の諏訪神社は、2つの鳥居が昔のまま残された形になっているというわけです。
川南諏訪神社は、“縁結びスポット”として紹介され、『左の鳥居から入り右の鳥居から出ると永遠に結ばれる』として、カップルの参詣も多いそうですが、本当はその逆で、右の鳥居から入って参詣し、左の鳥居から出るのだそうです。
なぜ鹿児島に諏訪神社なのでしょうか? 長野県の塩田荘へ地頭として任命され、続いて太田庄の地頭になった島津家初代・忠久公が、承久の乱(鎌倉時代の1221年に後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた乱)に功があったのは、諏訪神社の御利益によるものとして、諏訪大明神を篤く信仰するようになったのが始まりだそうです。
諏訪神社は、鹿児島県では祭神名の建御名方命(たけみなかたのかみ)からとって、『南方神社(みなみかたじんじゃ)』といいますが、わが地区にも南方神社があって、毎年10月15日に祭礼が行われ、翌年4月に小学校に入学する地区の男子を招待し、成長を願って、雄鎌と雌鎌がセットになった『二丁鎌』を贈呈する慣わしが今も続いています。
地区の会計を担当している著者は、該当する男子数を調べて鎌を発注しないとなりません。鎌倉時代の信仰が今も脈々と引き継がれているわけです。
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川南諏訪神社(鹿児島県肝属郡南大隅町根占)の並立鳥居 |
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諏訪神社(鹿児島県いちき串木野市川上)の並立鳥居 |
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