レポート  ・留置郵便   
- 留置郵便 -
漂泊の俳人・種田山頭火(明治15年〜昭和15年)が今なお愛され続けているのは、たくさんの自由律俳句とともに、自らの足取りを綿密に記録した日記を残していることによるといわれます。日記を読むと、山頭火が友人らとまめに、しかも頻繁に手紙をやり取りしていたのには感心させられます。友人との手紙のやり取りは、山頭火の精神的な拠りどころになっていたであろうことがうかがえます。
 
放浪の、住所不定の身でありながら、友人らと頻繁に手紙のやり取りができたのは、山頭火のまめさもさることながら、『留置郵便(とめおきゆうびん)』(今でいう、郵便局留め)というシステムがあったからに他なりません。
 
放浪といっても行き当たりばったりではなく、あらかじめ旅程を決め、手紙を留め置いてもらう郵便局名を事前に手紙で知らせて置いて、スケジュール通りに動き、しかるべき期間中に、しかるべき郵便局まで出向いて手紙を受け取っていたのでしょう。行乞記(一)(二)から幾箇所かを抜粋してみました。
 
□九月十四日 晴、朝夕の涼しさ、日中の暑さ、人吉町、宮川屋(三五・上)昭和5年(1930年)9月14日、現熊本県人吉市、一泊三五銭、宿の印象は「上」 
 
球磨川づたひに五里歩いた、水も山もうつくしかつた、筧の水を何杯飲んだことだらう。一勝地で泊るつもりだつたが、汽車でこゝまで来た、やつぱりさみしい、さみしい。
 
郵便局で留置の書信七通受取る、友の温情は何物よりも嬉しい、読んでゐるうちにほろりとする。行乞相があまりよくない、句も出来ない、そして追憶が乱れ雲のやうに胸中を右往左往して困る。……
 
□十月三十日 雨、滞在、休養。富高、坂本屋(三〇・中上)昭和5年(1930年)10月30日、前日より宿泊、現宮崎県日向市、三〇銭、「中上」
 
また雨だ、世間師泣かせの雨である、詮方なしに休養する、一日寝てゐた、一刻も早く延岡で留置郵便物を受取りたい心を抑へつけて、――しかし読んだり書いたりすることが出来たので悪くなかつた、頭が何となく重い、胃腸もよろしくない、昨夜久しぶりに過した焼酎のたゝりだらう、いや、それにきまつてゐる、自分といふ者について考へさせられる。
 
今日一日、腹を立てない事
今日一日、嘘をいはない事
今日一日、物を無駄にしない事
 
□一月廿六日 曇、雨、晴、行程六里、相知、幡夫屋(二五・中)
 昭和7年(1932年)1月26日、現佐賀県唐津市、二五銭、「中」
 
折々しぐれるけれど、早く立つて唐津へ急ぐ、うれしいのだ、留置郵便を受取るのだから、――しかも受け取ると、気が沈んでくる、――その憂欝を抑へて行乞する、最初は殆んど所得がなかつたが、だん/\よくなつた。
 
□三月廿二日 曇、暖か、早岐町行乞、佐世保市、末広屋(三五・中) 昭和7年(1932年)3月22日、三五銭、「中」
 
たしかに春だ、花曇だと感じた。
行乞相がよくない、よくない筈だ、身心がよくないのだ。佐世保はさすがに軍港街だ、なか/\賑やかだ、殊に艦隊が凱旋して来たので、街は水兵さんでいつぱい、水兵さん大持てである。留置郵便落手、緑平老、俊和尚、苦味生君、いつもあたゝかい人々である。夕食後、市街を観て歩く、食べもの店の多いのと、その安いのに驚く、軍港街の色と音とがそこにもあつた。一杯ひつかけて寝る、新酒一合六銭、ぬた一皿二銭!
 
□三月十四日 曇、時々寒い雨が降つた、行程五里、また好きな嬉野温泉、筑後屋、 おちついた宿だ(三〇・上)三月十五日 十六日 十七日 十八日 滞在、よい湯よい宿。昭和7年(1932年)3月14日〜18日、現佐賀県嬉野市、三〇銭、「上」
 
方々からのたより――留置郵便――を受取つてうれしくもありはづかしくもあつた、昧々、雅資、元寛、寥平、緑平、俊の諸兄から。緑平老の手紙はありがたすぎ、俊和尚のそれはさびしすぎる、どれもあたゝかいだけそれだけ一しほさう感じる。
 
こゝに落ちつくつもりで、緑、俊、元の三君へ手紙をだす、緑平老の返事は私を失望せしめたが、快くその意見に従ふ、俊和尚の返事は私を満足せしめて、そして反省と精進とを投げつけてくれた。
 
とにもかくにも歩かう、歩かなければならない。こゝですつかり洗濯した、法衣も身体も、或は心までも。
 
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現在、郵便局に郵便物を預かってもらう方法には、(1)郵便局留め(単に、局留めあるいは局止めという)と、(2)留置(とめおき)の2つがあります。郵便局留めは、郵便物受取者が郵便物の宅配を断り、郵便局に留め置いてもらう方法で、郵便物や荷物(旧・小包郵便物)などが届いたことは郵便利用者(受取人)に通知されず、到着から10日間経過しても受け取りがなければ、発送者に返送されます。山頭火が利用したのはこのサービスです。
 
たとえば、旅行先へ荷物を先送りしたり、機材や物品をイベント会場近くの郵便局で受け取ったりしたい場合などに便利ですし、郵便物の受け取りを同居人に知られたくない場合や、差出人に自分の住所を明かしたくない場合などに有効な方法です。
 
一方、留置は、『不在届』を提出することで、事前に指定された宛名への郵便物の配達を一定期間配達せずに郵便事業会社(旧・集配郵便局)に留め置き、期間満了後にまとめて配達される方法です。旅行などで長期間不在にする場合などに利用するもので、最長で30日まで留置できます。
 
但し、留置の手続きが出来るのは不在にする宛先の郵便事業会社直営店、または宛先の地域内の郵便局に限られ、一世帯に複数人が同居する場合、申請者本人のみの留置は不可能で、世帯全員の郵便物が留め置かれてしまうことになります。
 
ご承知の通り、郵政民営化により、郵便配達業務は郵便事業株式会社、郵便局の窓口業務は郵便局株式会社へと業務が分割されました。そのため、この2社が1つの局舎に同居している旧集配郵便局宛で郵便局留めにする場合、厳密には、宛名書き部分に『郵便事業株式会社○○支店留め』(あるいは、『日本郵便○○支店留め』)と書く必要がありますが、実際には併設の郵便局留めと記載しても問題ないそうです。
 
但し、郵便事業大阪支店と大阪中央郵便局の場合のように、民営化後に郵便事業会社直営店が郵便局会社の局舎から移転した場合には、どちらの会社の留め置きにするかによって、受け取る場所が変わるから注意が必要です。ちなみに、郵便事業大阪支店は、大阪府大阪市北区大淀中1丁目1番52号にあり、大阪中央郵便局は、大阪市北区梅田一丁目3番1号大阪駅前第1ビル1階にあります(以上、フリー百科事典ウィキペディアを参照)。
 
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郵政民営化法には、『3年毎の見直し規定(国営化に戻すというわけではなく、経営を良くするためのもの)』が設けられています。今回、日本郵政の社長人事問題をめぐって辞任した鳩山邦夫総務相は、『国営に戻すつもりはないが、民営化で生じた影の部分を見直すのは当たり前だ。決めたことを動かしてはいけないというばかな議論はない』と述べ、民営化の方向は堅持しつつ見直しを進めるべきだとの考えを示したといわれます。
 
平成29年10月に予定されている郵政の完全民営化までに曲折があるのでしょうか。『効率化』と『公共性の維持』という2つの課題がうまく両立され、過疎地におけるサービスも含めて、民営化以前のサービス水準が維持されるよう願いたいものです。
 
【参考にした資料サイト】
[1] 行乞記(一)は、山頭火の1930(昭和5)年9月9日から1930(昭和5)年12月27日の日記であり、行乞記(二)は、1931(昭和6)年12月22日から1932(昭和7)年5月31日の日記です。いずれも、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/ )より抜粋しました。
[2] フリー百科事典ウィキペディア 
 

2009.06.24 
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