コラム  ・玉簾の花   
− 玉簾の花 −

花々はそれぞれ、今は懐かしい思い出となった、子供の頃や青春の頃のある光景や出来事を思い出させます。


朝顔は、夏休みの絵日記や自由研究だったり、向日葵は、ソフィア・ローレン主演の映画だったり、家で飼っていたハムスターにその種を食べさせたことだったりです。


コスモスは、何と言っても、さだまさし作詞・作曲で山口百恵さんが歌った『秋桜』の歌でしょうか。竜胆(リンドウ)は、高校時代、強歩大会で往復 30km近い道のりを歩いて行った県境の高原の薄(ススキ)野です。


玉簾(たますだれ)の花をご存知でしょうか? 玉簾は、春の終りから秋のはじめにかけて、細くて肉質のある葉株の中から丈(たけ)が 20cm から 30cm ほどの花茎を次々に伸ばして、先端に純白の小さい6弁の花を咲かせる常緑の多年草です。
  ・「玉簾」を見る
       → http://www.washimo.jp/Information/Tamasudare.htm


鹿児島市にお住まいのまるこさんから、玉簾を詠んだ俳句とお便りを頂きました。


        『 待合の道端に咲く玉簾 』  まるこ


『玉簾って、とても原始的で生命力のあるイメージの花です。戦後のベビーブームに生まれた私の幼少の頃の時代風景は、家の塀や道端にたくさん咲く玉簾と共にありました。


あの頃は今から思うとセピア色です。隣家との境界線の垣根は、板で打ちつけた粗末なものでした。経済成長で玉簾の姿も小さくなりましたが、境界を仕切るように白い花は並んでいました。』(まるこ)


団塊の世代が幼少の頃は、田舎ではどこの家でも、玄関先や庭先、蔵の縁などに植えてあった花です。だから、物心ついた頃から視界の中にあって、花として意識するよりもむしろ、建物や道路や石垣や塀などの一部分としての存在だったように思います。


名前だって、まるこさんからお便りを頂くまで知らなかったのです。そして、この花の名前のことについて思いが至ることさえなかったのです。私にとって、玉簾はそんな花でした。


だから、玉簾の花が思い出させるのは、他の花の場合と違って、特定の光景や出来事ではなく、あの頃の日常生活全般の光景や情景なのです。


調べてみると、南米ペルー原産のヒガンバナ科の花で、日本には明治の初期に園芸用として導入された花でした。花の白さを玉、葉の集まっている様子を簾(すだれ)に見立てて、玉簾と命名されたようです。


痩せた場所にも良く耐えて増え、花期の期間も長いので重宝(ちょうほう)されたのでしょう。物資の乏しかった当時は、花の種類も今ほど豊富ではありませんでした。そんな中で、日常の生活の風景に彩(あや)を添えてくれた花に違いありません。


玉簾は、「便りがある(Hear from you)」、「期待」、「潔白な愛」などと言った、私のこの花に対する今までの認識からはほとんど想像が付かない素敵な花言葉をもらっているではありませんか。


経済成長ともに園芸植物も多様化していきました。玉簾の花のたくさん咲く風景は、セピア色になってしまった風景ですが、それでも夏の終わりから秋のはじめにかけて、玉簾は、今でも人々の目を楽しませてくれます。
                          

愛知県一宮市にお住まいの武本健一さんは、ご自分のホームページの「秋色」と題するページに玉簾の素敵な写真をアップロードされています。


・「秋色」→ http://pureweb.jp/~takeken/galleryk/room06/index.html
「武本健一・写真館」トップページ 
             → http://www.ne.jp/asahi/earth/takeken/


思いもよらず、今になって思い出し、思い直した「玉簾」という花のことでした。


2004.09.22  
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