レポート | ・台湾見聞録(2) |
− 台湾見聞録(2) −
|
||||||||||||
台湾観光局の調べによると、昨年(2011年)、日本から台湾を訪れた旅行客が前年比19.9%増の約 129万人に達し、過去最高を記録したそうです。旅行客が伸びたのは、2010年10月に東京・羽田−台北間に直行便が就航して交通の便が良くなったことに加え、昨年3月の東日本大震災で台湾の各界が約
200億円という世界最大規模の義援金を贈るなどして、日本人の台湾への関心が高まったのが主要因のようです。 鹿児島空港−台北間にも、今年3月から週3便、中華航空の直行便が飛ぶようになりました。行きが1時間50分、帰りが1時間30分の飛行で行き来できるので、大変便利になりました。そこで、今回連れ合いと台北4日間のツアーに参加してきました。現地案内をしてくれたのは、日本で商社に勤めた経験のある60歳半ばの男性ガイドさんでした。旅行中に見聞きしたことをまとめてみました。
上海料理の『鼎泰豐』(デンタイフォ)は、多くの観光客が必ずやって来るという聖地。『小籠包』が有名。台北市内の信義路二段の店には長い行列ができていました。その店で隣席に座った御婦人は他社のツアーで大阪から来たという方。その御婦人が日本はどこから来ましたかと尋ねます。『鹿児島から来ました』と答えると、『まぁ〜、遠いところから来ましたね』といいます。『はぁ、でも直行便が飛ぶようになったのですよ!』『そうでしたか』 台湾から地理的にはむしろ鹿児島の方が近いのに、世界のどこにいても、日本人にとって鹿児島は遠いところのようです。
台湾は南北の長さが約 500kmのサツマイモの形をした国で、面積は九州とほぼ同じ大きさ(日本の約1/10)。国土の三分の二が山という山国で、3,000mを越える山が、133個あるそうです。最高峰の玉山は、富士山より 176m高い海抜3,952m 。旧日本名が、日米開戦時の海軍の暗号で有名な新高山(ニイタカヤマ)という山です。
気候は、北部が亜熱帯で、南部は熱帯。熱帯に属している南部では、果樹などの植物の生長だけでなく、人間の成長も早いそうです。南部の人は体格も良く、スポーツ選手も南部の出身の人が多いそうです。南部では、お寺が行う成人式も、国や市が行う成人式も16歳で行うのだそうです(但し、法律上の成人年齢は南部も北部も20歳)。
400年前までの台湾は、フィリッピンやマレーシア人と同じミクロネシア系の先住民が主人公でしたが、明朝末期〜清朝初期(1644年前後)にかけて、中国大陸から漢民族がやってきました。台湾の現在の人口比率は、漢民族(98%)、原住民(先住民)(2%)となっています。漢民族は、さらに国共内戦で敗れた蒋介石率いる国民党軍と共に1949年に台湾に移住してきた外省人(13%)とそれ以前から台湾に居住していた本省人(85%)に分けられます。 台湾原住民(先住民)は、山奥や東海岸に住みます。体格が良く声も良く踊り上手。芸能人やスポーツ選手に原住民出身者が多いそうです。今でも現地語をしゃべり、子供たちは原住民の言語を勉強し、台湾のケーブルテレビのチャンネル16は原住民専用チャンネルです。 花蓮(かれん)など東海岸を旅行すれば、原住民の文化・芸能に触れられるそうです。なお、『高砂族』(たかさごぞく)という呼び名は、日本統治時代(1895年〜昭和20年)の1935年(昭和10年)に、山地原住民に付けた旧日本名です。
台湾の通貨は、NT$(ニュー台湾ドル)ですが、日常的には、元(ゲン)と呼びます。現在のレートは、1NT$=2.8〜2.9円ですから、約3円で計算すれば良いです。大卒の初任給が、2.5 〜3万元。物価は、朝食が25元程度、定食屋の定食が 100元以下で、お弁当屋の弁当が70〜 100元、屋台の麺(そば)が30元、カフェレストランの食事が180元程度。四川料理が150〜250元。 経団連の調べによると、2011年3月時点で日本の大卒の初任給(事務系)は平均で約20万7千円だそうです。日本の定食が600〜700円だとして、台湾の初任給が8万4千円( 2.8万元)で、定食が210〜300円(70〜100元) とすると、初任給に対する物価の割合が似たような値になります。すなわち、給料に似合って物価が 日本の2.5〜3分の一と安いものの、外国製品やブランド品などは、日本と同じくらいの価格なので、日本よりかなり割高になるといったイメージでしょうか。
台北でマイホームを持つのは大変なようです。市街地だと30坪( 100平方メートル)のマンションで、2,000〜2,500万元するそうです。大卒初任給の700〜1,000ヶ月分ですから、日本だと1億4,000万 〜2億円という値になります。台北郊外でも 1,000万元(初任給の 330〜400ヶ月分、日本だと 6,800〜8,200万円)以上するそうです。
台湾の文字はすべて漢字で書きます。台湾の漢字は、『繁体字』と呼ばれる、崩さない、もっとも原型に近い漢字ですから、漢字一字一字の意味が理解できるので、いわれてみれば、なるほどと面白い漢字熟語がたくさんあって、看板や標識などを見飽きることがありません。 意味がわからない、あるいは解釈が反対の漢字熟語もあります。宿泊した圓山大飯店(THE GRAND HOTEL )の浴室に『小心地滑』とありました。日本語だと、『小心者が地面を滑る』ということになりますが、『小心』は臆病とか度量が小さいという意味ではなく、『細心』という意味の小心です。すなわち、地(床)が濡れて滑り易いので、細心の注意を払って下さい、という意味になります。小心落水(落水に注意!)、小心頭部(頭上注意!)などもありました。
馬桶は便器のこと。従って、洗馬桶は水洗式トイレのこと。『免』は免れる。『治』は、治療のほかに痔(じ)の意味があります。すなわち、痔になりにくい、あるいは痔の治療いらずという意味で、免治洗馬桶座とは『ウォシュレット便座』のこと。『後洗浄』と『前洗浄』のボタンがあります。前者は”おしり”、後者は”ヒデ”用のボタンです。台湾では、一定レベル以上のホテルは、ウォシュレットになっていますが、デパートや免税店などは、ウォシュレットになっておらず、まだ日本ほどは普及していないようです。ちなみに、”ウォシュレット”の名称はTOTOの登録商標だそうです。
汽車は車のことで、機車はバイクのことです。台湾の自動車保有率は3人に一台だといわれます。日本の保有率が 1.7人に一台ですから、約半分ですが、台湾は台北に人口が集中していますから、台北は車が多いです。また、台湾はバイクも多く、大通りや路地を、バイクの群れが、まるで水族館の魚群のように走り去っていきます。それに比べて少ないのが自転車です。 汽・機車美容店は、車やバイクを綺麗にするお店ということになります。店構えは、日本の修理工場のような構えをしています。単に洗車をするだけでなく、整備やドレスアップもするのでしょうか(台湾では改造車は見かけません)。『愛車族汽車専業美容店』という看板も目にしました。『汽車旅館』はモーテルのこと。美容といえば、『麗診所』は、人間の美容整形外科のこと。
台北のランドマーク的存在である圓山大飯店のすぐ東隣にある忠烈祠(ヂョンレイツー)は、辛亥革命や抗日戦争で戦死した33万人の英霊が祀ってある、日本でいうと靖国神社みたいなところです。大門と大殿にそれぞれ二人の衛兵が立って守護を行っています。 大門と大殿とも衛兵は1時間に1回の交替があり、この衛兵交代が台北観光の名物の一つになっています。衛兵は任務に就いたら最後、1時間不動のまま、まばたきもせずに、ひたすらマネキンみたいに立ち続けるわけですから、大変感心させられると同時に、とても大変な任務だなと思われてきます。 現在台湾では徴兵制が敷かれていて、満18歳以上の男性には1年間の兵役義務があります。その中から選ばれたエリートが忠烈祠や中正記念堂(台北にある蒋介石の顕彰施設)の衛兵の任にあたります。 選ばれるには、身長が 175cm以上で、体力(容姿が良いことも含めて)がある、そして家柄がいい、という3つの条件が必要だそうです。職業軍人ではないので、軍で出世するということにはなりませんが、退役後の就職とか結婚(お見合い)とかに有利なのだそうです。果たして、選ばれるべきだろうか、そうでないほうが良いだろうかなどと考えさせられてしまいます。 この60年以上続いてきた台湾の徴兵制も、2014年度いっぱいで廃止され、2015年度からは徴兵の代わりに4カ月の軍事訓練が義務付けられることになる予定だそうです。全面的な志願制に移行することになります。ハイテク兵器の発展に伴う軍の精鋭化の方針と少子化を受けた措置だといわれています。 この記事の参考になるサイトページ ・旅行記 台北の風景 − 台湾の旅(1) → http://washimo-web.jp/Trip/Taiwan01/taiwan01.htm
台湾から沖縄県与那国島までは直線距離で 110kmという距離です。晴れた日には台湾北部の海岸から与那国島が見渡せるそうです。昨年(2011年)9月、この 110kmの距離を約52時間かけて泳ぐというイベントが行われました。 昨年3月の東日本大震災に対して台湾から約 200億円という世界最大規模の義援金が贈られました。東日本大震災に寄せられた台湾からのこうした支援に対して、日本人オーシャンアスリート鈴木一也さんが発起人となり、台湾への感謝を示すために企画された遠泳でした。 スイマーたちは、福島県、宮城県、岩手県の東北3県の知事から馬英九総統に宛てた感謝の手紙を携えて、9月17日午前6時過ぎに与那国島を出発。5人から10人のメンバーが、リレー方式で昼夜連続休みなく約52時間かけて泳ぎ、9月19日午前10時前(現地時間)に台湾北部の蘇澳に到着しました。 ゴールの際には、台湾側も海巡署から戒護船が出、海岸巡防署の船のほか『中華成人遊泳協会』が募った 100人のスイマーが、蘇澳沖で日本からやってきた泳者を出迎えたそうです。東北3県の知事からの手紙が無事に台湾側に手渡れました。
台湾最北部の港町・基隆(チーロン)の東近郊に位置する九イ分(きゅうふん、ジォウフェン)は、山の斜面にへばり付くようにノスタルジックな街並みが佇む、台湾旅行必見の観光地です。 地名は、清朝初期時代に九つの世帯が物を買うときにいつも『9つ分』と言っていたとか、物を9等分して分け合っていたとかに由来するそうです。もともとは何もない台湾の一寒村に過ぎなかった村が、19世紀末に金鉱が発見されると町が開けてきて、日本統治時代に最盛期を迎えました。 その後、1970年代に金鉱が閉山されてからは急速に衰退し、一時期は人々から忘れられた町となっていましたが、1980年代末に侯孝賢監督が、二・二八事件(国民党支配下の台湾において発生した大規模な流血事件)を描いた映画『悲情城市』のロケ地に使ったことで再び脚光を浴びるようになりました。 また、九イ分を訪れた宮崎駿監督は阿妹茶楼でお茶を飲みながらアニメ映画『千と千尋の神隠し』の構想を練ったといわれます。この九イ分の今から約80年前の平均寿命は40歳ぐらいだったそうです。金を掘って豊かな生活をしていましたが、当時はじん肺に対する対策が取られておらず、じん肺で死ぬ人が多く、また坑内の落盤事故によって命を落とす人が多かったからだそうです。 この記事の参考になるサイトページ ・旅行記 九イ分の風景 − 台湾の旅(2) → http://washimo-web.jp/Trip/Taiwan02/taiwan02.htm 【参考】 レポート ・台湾見聞録(2010.09.15) → http://washimo-web.jp/Report/Mag-TaiwanKenbun.htm |
|