レポート  ・荘川桜物語   
− 荘川桜物語 −

はじめての土地を旅すると予期せぬ風景や情景に出会い、思わぬ感動をすることがあります。二本の老桜(おいざくら)もそうでした。岐阜県高山市でレンタカーを借りて庄川沿いに国道 156号を北上します。お目当ては世界遺産の合掌造りの集落・白川郷と富山県の五箇山です。


御母衣(みぼろ)ダムが近づくにつれて川幅はだんだん広くなり、離合ままならない狭幅の隧道をいくつもくぐります。ゆるい左カーブを登りきった前面に突如、とてつもなく大きな二本の桜の木が現れました。若葉が出てきてはいますが、まだ花をしっかり付けていて、フロントガラスの空全面を鈍い薄桜色に染めます。


その老桜の壮大さゆえの感動もさることながら、ダム建設で湖底に沈む運命にあった老桜が、植林史上例のない大がかりな難事業によって移植されたという物語を知って、また感動したのでした。


                  荘川桜物語


戦後の産業復興のためには先ず電力の確保が急務であるという背景のもとに、昭和30年代は、電源開発促進法に基づき電源開発株式会社が設立され、多くのダムが造り始められた時代でした。


ダム用地に真っ先に選定されたのが庄川上流の御母衣(みぼろ)でした。6年にわたる交渉を経て、昭和34年(1959年)の晩秋、ダム事業者である電源開発と御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会は妥結を見、水没地住民は新たな生活を求めて思い思いの土地へ旅立つことになりました。


電源開発の初代総裁として交渉に臨んできた高碕達之助は、その時、すでに電源開発総裁の職を辞していて、74歳でした。死守会の解散式のあった日、水没予定地を感慨深げに見てまわった高碕は、学校のとなりにあった光輪寺の老桜(おいざくら)が湖底に沈むのをこよなく惜しみ、移植することを思い立ちます。




              故 高碕達之助翁と荘川桜


            かつて高碕翁が
            光輪寺に老桜を訪れたとき、
            慈愛にみちた口調で語った言葉は、
            その時翁に従っていた者に
            いつまでも深い感動を与えた。


             進歩の名のもとに、
             古き姿は次第に失われてゆく。
             だが、人の力で救えるものは、
             なんとかして残してゆきたい。
             古きものは
             古きがゆえに尊いのである。と


            平成14年10月 荘川村商工会青年部
            (荘川村商工会青年部の記念碑より)




当時日本随一の桜研究家として知られていた笹部新太郎の協力を得て、照蓮寺にあるやはり樹齢 450年以上の桜と二本同時に移植されることになり、昭和35年秋、重量合わせて73トン、移動距離 600メートル、高低差50メートルという、世界植樹史上例のない移植工事が行なわれました。


桜は、繊細で幹が傷ついただけで枯れてしまう植物として知られています。移植はされましたが、丸裸になってしまった老桜を見た水没地住民や世間の、笹部や高碕に対する目は、「むごい」と冷たいものでした。


しかし、翌年の春、若い芽を出し、見事に活着したのでした。荘川桜として知られる二本の東彼岸桜(アズマヒガンザクラ)の老桜は、移植後45年を経た今も、御母衣湖畔に二本寄り添い助け合ようにして、壮大な姿を見せ続けています。


                    さくら道


名古屋駅から金沢まで、約 250kmを走っていた旧国鉄の名金線は、日本一の長距離バス路線でした。その名金バスに、荘川桜とその逸話に感銘を受けた一人の車掌がいました。佐藤良次という人です。


佐藤さんは、自分の走るバス沿線を太平洋と日本海を結ぶ『さくら道』にしようと決意し、昭和47年(1982年)、沿線の停留所に桜の苗木を植え始めたのです。


病魔に冒され、入退院を繰り返しながらも桜を植え続けますが、2000本あまりの桜を植えた頃、佐藤さんは志半ばにして47歳という若さでこの世を去りました。


この話は『さくら道』(中村儀朋・著/風媒社・刊)とそれを映画化した『さくら』(1994年)のモデルになりました。名金線は、いまでは廃止になっていますが、毎春、荘川桜が咲くゴールデンウィーク頃になると、沿線自治体などの主催で『さくら道・国際ネイチャーラン』や『さくら道・270キロウルトラマラソン』などが開催されています。


                  荘川桜二世


荘川桜の感動的な物語がひろまるにつれ、その命をつなごうと、老体の種から育った実生(みしょう)の「二世」がたくさん誕生し、荘川桜のすぐ脇に、ニ本の「二世」が植えられているのを始め、全国各地で、荘川桜の「子」や「孫」が育てられているそうです。


■下記のページに、『旅行記 ・荘川桜 − 岐阜県高山市荘川町』があります。
 → http://washimo-web.jp/Trip/Syoukawa/syoukawa.htm


【用語】
・実生〔みしょう〕=接ぎ木・挿し木などによらず、種子から発芽し、生育した植物。芽生え。みばえ。


【参考】この記事は、下記のサイトなどを参考にして書きました。当時の貴重な写真などを見ることができます。
・荘川桜 電源開発株式会社
  → http://www.jpower.co.jp/sakura/
・飛騨総合ポータルサイト− 飛騨の歴史 −
  → http://61.115.234.145/history/01/01.html
・佐藤良二さんについて
  → http://www.miboroko.com/satohsto.html
・芽を切る  → 
http://www.calstarchristianchurch.org/pages/backnumber_01/star010701.htm



2006.05.28
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