レポート  ・塩の道 〜 敵に塩を送る   
− 塩の道 〜 敵に塩を送る −
北アルプスの山々が残雪を頂く長野県北安曇郡白馬村の風景に魅せられて、今回(2018年5月10日)、3泊4日の旅にでかけました。晴れの天気になることを見極めたうえで出発することにしたので鉄道の旅になりました。
 
鹿児島県の川内駅から新幹線と北陸本線の特急(サンダーバード)、そして再び新幹線を使って新潟県糸魚川まで行き、糸魚川でレンタカーを借りました。糸魚川から国道 148号を約1時間南下すれば白馬村に着きます。
 
糸魚川から長野県松本までの約 130kmの旧道は、千国街道(ちくにかいどう)と呼ばれ、また日本海で生産された塩を運ぶ重要な道路だったことから『塩の道』とも呼ばれました。
 
『敵に塩を送る』という故事があります。『争っている相手が苦しんでいるときに、争いの本質ではない分野において援助を与えることのたとえ』として用いられます。1月11日が『塩の日』だというのをご存知でしょうか。これらの故事や記念日は、この塩の道に由来します。
 
1567年(永禄10年)甲斐の武田信玄は13年間に及ぶ今川氏との同盟を破棄し東海方面への進出を企てます。領内に入られた今川氏真は、縁戚関係にあった北条氏の協力を得て、武田領内への『塩留め』(経済封鎖)を行いました。
 
武田の領地は海に面していないため領内で塩をつくることができず、武田は塩不足で困窮しました。このとき、長年敵対関係にあった越後の上杉謙信が武田信玄に塩を送って助けたといいます。この話に基づいて、『敵に塩を送る』という故事が生まれました。
 
越後から送られた塩が松本に到着したのが、1568年(永禄11年)1月11日でした。感謝の意をこめ毎年1月11日に『塩市』が開かれるようになりました。この塩市は、現在は年頭の大売り出しである『松本あめ市』として引き継がれているそうです。
 
上杉謙信は『義』を重んじる武将だったらしいですが、謙信が信玄に塩をプレゼントしたという話は、どうも後世につくられた美談のようです。信玄に『塩を送った』ということではなく、塩の道の『塩の流通を止めなかった』ということでしょう。
 
商業面でも優れた才覚を発揮した謙信でした。つまり、謙信の真意はビジネスにあって、信玄の困窮をビジネスチャンスととらえたのではないでしょうか。越後の塩商人は甲斐で塩を売りまくり大いに儲けたに違いありません。
 
塩の道マップ
塩の道の看板(新潟県糸魚川市根知谷入口)
塩の道・千国街道(ちくにかいどう)の標識
長野県北安曇郡小谷村、宮本踏切(南小谷駅〜中土駅間)
宮本踏切から白馬村方向を見る大糸線の風景
(写真撮影日:2018.05.12)

2018.05.16
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