レポート  ・算額(さんがく)   
− 算額(さんがく) −
2016年9月に訪ねた東京渋谷の金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)は、日本独自の暦法を完成させた実在の人物、安井算哲(後の渋川春海)の生涯を描いた沖方丁著の小説『天地明察』(2010年11月角川書店初版発行、2012年映画化)に物語の冒頭から出てきます。
 
主人公が江戸での定宿にしている会津藩屋敷から早朝籠を飛ばして行く先は、渋谷宮益坂にある金王八幡。そこにある算額(算術絵馬)を見るためでした。1850年代(江戸時代の末)に奉納された3つの算額を金王八幡宮の宝物庫でみることができます。
 
算額とは、江戸時代の日本で、額や絵馬に和算の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納したもので、平面幾何に関する算額(特に円の中に多数の円や別図形の中に多数の球を入れるなど接点を持つもの)が多いです。和算家のみならず、一般の愛好家も数多く奉納しています。
 
算額は、和算において、問題が解けたことを神仏に感謝し、ますます勉学に励むことを祈念して奉納されたと言われます。やがて、人びとの集まる神社仏閣を問題の発表の場として、難問や、問題だけを書いて解答を付けずに奉納するものも現れ、それを見て解答や想定される問題を再び算額にして奉納することも行われました。
 
このような算額奉納の習慣は世界中をみても他に類例がなく、日本独特の文化といわれます。1997年に行われた調査結果によると、日本全国には 975面の算額が現存しています。
 
これら現存する算額で最古の記年銘をもつものは栃木県佐野市の星宮神社に奉納された天和3年(1683年)のものでした。延宝8年(1681年)の村瀬義益『算学淵底記』によれば、17世紀中頃には江戸の各地に算額があったことが記されており、ここでは目黒不動の算額の問題が紹介されています。
 
京・大坂にはさらに古くから算額があったと推定されます。17世紀後半には算額に書かれた問題を集めて書物にするものも現れ、出版物としての算額集の最初は寛政元年(1789年)の藤田貞資著『神壁算法』とされています。
 
算額奉納の習慣は江戸中期に入ると全国的に盛行し、とくに寛政・享和・文化・文政のころは最も隆盛し、1年に奉納数が 100を越えたこともあったといわれています。明治に入ってからも昭和初年頃まで和算の伝統をひいて継承されました。(以上は、算額 − Wikipedia から転載)
 
金王八幡宮の宝物庫の説明には以下のようにあります。
 
日本人は、元来どのようなものにも魂が宿る、神様が宿っているという信仰を有し、自分が成し得たことも『神のご加護によること』と驕り高ぶることなく精進を重ねました。高い水準の技術を身につけた算家をしても、神様への感謝、慎みの心を持ち、その思いを美しい図案・彩色あるいは形状の『算額』に表現し奉納したのでしょう。
 

元治元年(1864年)奉納の珍しい扇形の算額(金王八幡宮) 
嘉永3年(1850年)奉納の算額(金王八幡宮)
安政6年(1859年)奉納の算額(金王八幡宮)
【参考サイト】
(1)旅行記 金王八幡宮 − 東京都渋谷区

2016.10.28
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