レポート  ・飲む点滴 〜 ポカリスエット   
− 飲む点滴 〜 ポカリスエット −
徳島県鳴門市といえば、大塚製薬、大鵬薬品工業、大塚倉庫、大塚化学ホールディングス、大塚食品など、国内48社・海外 105社におよぶ『大塚グループ』の源流企業である(株)大塚製薬工場のあるところとして知られています。
 
大塚製薬から発売されている清涼飲料水『ポカリスエット』(POCARI SWEAT)が、実は『飲む点滴』として開発されたのをご存知でしょうか。ポカリスエットは、昭和55年(1980年)4月に発売されました。
 
やがて日本におけるスポーツドリンク普及の起爆剤になりましたが、大塚製薬はスポーツドリンクでなく、発売当時より『発汗により失われた水分、イオン(電解質)をスムーズに補給する健康飲料』として売り出しました。ヒトの体液に含まれる7種類のイオンを含有しています。
 
昭和48年(1973年)、オロナミンCドリンクの開発を担当した研究員の播磨六郎は、メキシコ出張で水にあたり、ひどい下痢になり医者に掛かったものの、抗生物質を処方されただけで、『体内の水分と栄養が失われているから、とにかく水分補給のためにジンジャーエールを飲み、後で栄養も摂るように』と指示されました。
 
ジンジャーエールはジンジャー(ショウガ)などの香りと味をつけ、カラメルで着色ノンアルコールの炭酸飲料ですが、下痢に効くというわけではなく、当時のメキシコにはミネラルウォーターがあまり売っていなかったため、ミネラルウォーターの代わりにジンジャーエールをすすめられたのでした。
 
このとき、体にすぐ吸収される飲料が商品化できないかと思い立ったのが『ポカリスエット』開発の動機でした。長時間の手術を終えて疲労した医師が、水分補給に輸液の一つであるリンゲル液(生理食塩水)を飲用している事実を知っていた播磨六郎は、帰国後、『飲む点滴』の商品化を提案します。
 
大塚製薬は元々、病院で使用される点滴用のリンゲル液を手がけており、グループ会社である大塚製薬工場は輸液(点滴)の分野では国内生産のシェアが50%と一番多い輸液のリーディングカンパニーでした。
 
食味の研究も入念に行われ、赤穂の塩味饅頭をヒントに、塩味と甘みの絶妙のバランスを図りましたが、販売開始初年度、未知の味にセールスが不調で、オロナミンCを置いてもらっている店でも『売れる気がしない』と、なかなか置いて貰えなかったそうです。
 
テントを立てて1杯 100円で試験販売しても不評でした。そこで、無料配布(今で言うサンプリング)を1年間続けた結果、それまで横ばいだった売れ行きが、2年目の夏、一気に売れ始めました。初年度の無料配布では、40億円以上もの損失をしたそうです。
 
石原裕次郎が1981年に心臓外科手術を受けた後、『喉が渇いている、ポカリスエットが飲みたい。』と筆談でしきりに懇願し、兄の慎太郎が記者たちの前でそのことを口にしたところ、その日からポカリスエットの売上が急増し、大塚製薬からはトラック1台分のポカリスエットが入院先の慶應義塾大学病院に届けられ、慎太郎の家にも数ケース分のポカリスエットが届けられたそうです。
 
ポカリスエットの『ポカリ』は、明るくさわやかな響きを持つ言葉としてつけたもので、特別な意味はないそうです。一方、『スエット』は文字どおりの『汗』の意味で、体から目に見えて失われる『汗』を表し、水分やイオンの大切さを訴えることからつけられたそうです。
 
【参考サイト】
(1)ポカリスエット - Wikipedia
(2)ポカリスエットの誕生秘話(ポカリスエット|大塚製薬公式サイト
 

2018.01.31
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