コラム | ・八百屋お七 〜 惻隠の情 |
− 八百屋お七 〜 惻隠の情 −
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旅をすれば、思わぬところで思わぬ歴史や伝説などに遭遇することがよくあります。旅の醍醐味の一つと言えるでしょう。先月(2015年1月)訪ねた長野市の善光寺で遭遇した一つが『八百屋お七』の伝説でした。善光寺の山門手前右側に、『濡れ仏』と呼ばれる延命地蔵菩薩様が座っていて、説明板につぎのようにあります。
天和2年(1683年)の暮れに江戸で死者3500名余と推定される大火が発生しました。この大火で焼き出された江戸本郷森川宿(現在の東京都文京区本郷)の八百屋の娘・お七は、親とともにお寺に避難しました。 寺での避難生活のなかでお七は、寺の小姓と恋仲になります。やがて店が建て直され、お七一家は寺を引き払って新居に帰ったのですが、寺の小姓への断ち切れない想いが募るばかりのお七は、もう一度自宅が燃えてしまえばまた寺で暮らせると考え、自宅に放火したのでした。 幸い火はすぐに消し止められ、ぼやですみましたが、お七は放火の罪で捕縛され、市中引き回しの上、火あぶりの刑に処されました。このお七の事件は、わずか3年後に出版された井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられ、広く世間に知られることになりました。 『好色五人女』で西鶴が設定した恋人の名は吉三郎。歳は、お七、吉三郎ともに16。お七が新居に戻ってからのある大雪の日、吉三郎は土筆(つくし)売りに変装して八百屋を訪ね、お七の両親が不在になった間に二人は逢瀬を楽しむのでした。 その後吉三郎になかなか会えないお七は、思いつめ、会いたさ一心で自宅に放火しました。お七が火あぶりになったとき、吉三郎は病の床にあり、お七の出来事を知りません。お七の死後 100日になって起きれるようになった吉三郎は、お七の死を知って悲しみ自害しようとしますが、お七の両親や人々に説得されて吉三郎は出家し、お七の霊を供養するのでした。 『好色五人女』に続いて、それぞれのあらすじで文芸物や演劇物、落語などが多く書かれましたが、異説が多く、実在の人物としてのお七についてはほとんどわかっておらず、史実は不確かだそうです。 ただ、この八百屋お七の物語に世間が大いに惻隠の情(そくいんのじょう)を感じてやまなかったと言うことだけは確かなようです。お七や吉三郎のお墓が、あちこちにあるそうです。善光寺の濡れ仏の伝説もその一つでしょう。
【ことば】 惻隠の情(そくいんのじょう)=『惻』は、同情し心を痛める意。『隠』も、深く心 を痛める意。すなわち、哀れに思う気持ち。可哀想であると感じる心持ち。 【参考にしたサイト】 (1)文京区 円乗寺(えんじょうじ) (2)風に吹かれて:八百屋お七の墓 (3)歴史を訪ねて 大円寺(目黒区公式ホームページ) (4)仏谷寺(ぶっこくじ)/八百屋お七の恋人の墓 (5)八百屋お七 - Wikipedia |
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2015.02.11 | ||||
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