レポート | ・ドラマスペシャル『なでしこ隊』をみて |
− ドラマスペシャル『なでしこ隊』をみて − |
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2008年9月20日に放映された千の風になってドラマスペシャル『なでしこ隊〜少女達だけが見た“特攻隊”
封印された23日間〜』(フジテレビ系、21:00〜23:10 )をみました。 第2次大戦末期の1945年(昭和20年)3月27日から4月18日までの23日間、鹿児島県知覧基地で特攻隊員への奉仕を命じられた少女たち『なでしこ隊』の生存者の証言と当時の日記を基に、彼女たちだけが見た、封印され続けた特攻隊の真実に迫るドラマでした。 知覧基地で極秘特命の勤労奉仕隊として、特攻隊員たちの死への旅立ちを見送り続けたのは、知覧高等女学校の、当時15歳の女学生たちでした。彼女らは、女学校の校章がなでしこの花であったことから『なでしこ隊』と呼ばれました。 涙を誘うシーンの連続でしたが、史実を伝える写真や資料、映像、インタービューを交えたドキュメンタリー風のドラマだったので、特攻隊について、次のような新たな認識が得られたドラマでもありました。 (1)先ず、なでしこ隊の存在自体のことですが、同じ鹿児島県に住んでいて、知覧には何度も足を運んでいるのに、なでしこ隊の存在を知りませんでした(ブログなどを読むと、鹿児島県民の結構多くの人がそうだったように思われます)。 (2)その時期、特攻作戦の詳細はまだ、軍とわずかな関係者だけが知る極秘事項であった。特攻隊員たちは、一切家族に伝えられることなく出撃していった。 (3)アメリカは特攻の詳細を徹底的に研究し迎撃対策を練り上げた。沖縄の周囲にレーダーの警戒網を敷き、200km 先の特攻機さえ捕捉できるようになった。そのため、多くの特攻機が敵艦に到達する前に撃墜され、当初は神風と恐れられていた特攻隊だったが、成功率が2割以下に下がった。それでも彼らは出撃しなければならなかった。 (4)特攻隊の出撃を記録した極秘資料(陸軍特攻隊編成表)が残っているそうである。○印のあるのは戦死した者で、無いのは失敗して帰還した者だそうだが、テレビに映された資料では、○のないのが結構多かった。 (5)特攻機は老朽化した機体が多く故障が続出し、修理用の部品さえ不足していた。それでも、生きて帰ってきた隊員たちは、振武寮と呼ばれる再教育施設に収容され、司令部参謀から厳しい追及を受けた。 (6)アメリカ軍が沖縄に上陸した頃、知覧基地も狙われていた。航空写真を撮られ、誘導路や基地に配備された戦闘機も一目瞭然で、知覧特攻基地はアメリカ軍に丸裸同然の状態だった。 (7)しかし、軍部は戦果を大々的に報じ続けた。『(特攻隊員の)皆が笑って出撃するわけじゃなか。あの方たちの本当の姿は新聞には書いてないのだ。』 (8)終戦直後、知覧基地では特攻隊に関する全ての資料が燃やされた。 (9)昭和20年4月12日、特攻隊を見送る少女たちの姿が一枚の写真に記録された。その写真は、戦後占領軍の押収を恐れ、毎日新聞大阪本社で長く封印されていたが、戦後20年目の昭和40年(1965年)発行の毎日グラフで初めて公開された。フジテレビの公式ホームページのなかで使用されているのがその写真です。 (10)なでしこ隊のメンバーは例年、5月に知覧で行なわれる特攻隊の慰霊祭の日に再会を果たしている。当時 100人を越えていたメンバーも今は30人足らずになったが、遺族や戦争を知らない人々に、あの日の光景を伝え続けている。 *** なお、この放映番組については、知覧のご出身で大阪にお住まいの坐忘さんから、下記のご案内を頂きました。 鹿児島の知覧特攻基地関連の番組放映がいよいよ近づいて参りましたので、そのご案内です。当初、終戦日前後の放映かなと思っていましたが、お彼岸の放映となったようです。番組制作にあたって、当時の関係者を60人ほども取材したそうで、バックボーンはかなりしっかりしているようです。 取材から半年、この間インタビューを受けた人で亡くなった人もおり、時代の移ろいを身にしみて感じさせました。番組は、9月20日土曜日の夜9時から、フジテレビ系列で放映されます。 |
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2008.09.24 | ||||
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