雑感 | ・つめた貝 〜 海からの贈物を読んで(2)〜 |
− つめた貝 〜 海からの贈物を読んで(2)〜 − |
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1927年(昭和2年)に、ニューヨーク〜パリ間の大西洋単独無着陸横断飛行に成功したアメリカのリンドバーグの夫人アン・モロウ・リンドバーグ女史が、1950年(昭和25年)代に書いた著書『海からの贈物』は、読み返すたびに新しい意味を発見する本です。女史は、『つめた貝』という章で、女性と内的な充実について自問自答しています。 最近、男性も女性も意識は外に向かうばかりで自分を内部に向かわせることが少なくなったと指摘します。自分を見詰めないと。内部が詰まっていないと。そして、今日、男性の世界でさえも内的な解決を求めずにはいられなくなっていると。 昔女性は、外的な活動に加わることが難しく、そうした生活上の制約自体が女性に注意を内部に向けさせた。食事を作ったり、裁縫をしたり、漬物を漬けたり、子供に歌を歌ってやったりすることが、自分というものの糧(かて)になる創造的な仕事そのものであって、女性の内的な生活を豊かにした。 女性は、男性がその外的な活動では容易に求めることができなかった内的な力というものを得て、いつも内部に力を求めるということの先駆をなしてきた。 しかし、フェミニスト運動のおかげで今日、女性は多くのものを手にしたが、反面、泉を涸(か)らしつつあるのではないかと、女史は問いかけます。 そして、子供、男、また社会を養うものとして、自分を与えることが女性の役目であるとするならば、同時に女性は満たされることが必要であると言います。昔に戻って、女性を再び家庭に閉じ籠(こ)めるということではなく、一人になる時間を少しでも作って、自分の内部に注意を向けることだと言います。 ******* 外に出て社会的な仕事に生き甲斐を持つ女性もあれば、専業主婦として家庭を守ることに生き甲斐を持つ女性もあります。また、経済的な都合で共働きをする人もあるでしょう。どちらがどうこうとか、こうでなければならないとか言う問題ではなく、選択の問題だと思いますが、いずれにしても、『女は、この我々の内部に力を求めるということの先駆をなさなければならない。女は、いつもその先駆をしてきた。』とい う女史の言葉には、心動かされます。 彼女自身も女性飛行家の草分けでしたし、当時のトップレディとして、社会的な活動に参加した人であったでしょう。と同時に、長男が誘拐され死体で発見されるという、女性として、母親として、大きな試練を味わったのち、五人の子供を育てた上げた人でもありました。 『つめた貝は我々に孤独ということを教え、中心に向えと言う。』 外的な活動に明け暮れ、彼女もまた、涸(か)れつつある自分を感じ、家族や日常生活と離れて、つかの間を離島の浜辺で過ごしたのでしょう。 アメリカでは、つめた貝のことを『月の貝(Moon Shell)』というそうです。彼女は島で拾ったつめた貝を持って帰って、コネチカットの自分の部屋にある机の上に置きます。 そして、自分が救われるためだけでなく、家庭生活、または社会、そして我々の文明さえもが救われるためにも、『回転している車の軸が不動であるように、女は静かでなければならない』と、章を締めくくります。 【備考】 ●この雑感は、『海からの贈物』(アン・モロウ・リンドバーグ著/吉田健一訳/ 新潮文庫/1967年7月発行/)の読書感想として書きました。文の一部を引用させて 頂いています。下記のページに書籍紹介があります。 → http://www.washimo.jp/BookGuide/BookGuide5.htm ●下記のページに、雑感『ここと今と個人と 〜 海からの贈物を読んで(1)〜』を 記載しています。 → http://www.washimo.jp/Report/Mag-Kokoto.htm |
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2004.12.01 | ||||
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