レポート | ・馬渡(まだら)島とめでた節 |
− 馬渡(まだら)島とめでた節 −
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ところ変われば、しきたり変わると言われるように、岐阜県飛騨地方の祝宴酒席には、『めでた』という祝唄が披露されるまでは、自席を立つことが許されないという独特のしきたりがあるそうです。この『めでた』は、
唄い出しの語を長く長く伸ばして唄う飛騨地方特有の節回しで、 めでためでたの 若松さまよ 枝も栄える 葉も茂る というだけの歌詞を4分もかけて唄います。男性で、それなりに重鎮な人が指名され、指名された人は前に出て短い挨拶をしたあと、『ご唱和をお願いします』と言って唄い出しとなるそうです。 高山市の隣町の飛騨市古川では、そのあとにさらに乗りの良いお囃子が続きます。 ツイタトテ ナントセズ ゼンゼノコ コリャ マンマノコ 『ゼンゼノコ』はお金、『マンマノコ』とはご飯のことです。また、『ツイタトテ』は尽きてもという意味ですから、お囃子は、貧乏してお金がなくなっても、何とか暮らしてゆけるという人情深い土地柄を謳っています。 *** 飛騨地方の『めでた』と歌詞が同じで、似たような唄い方をする唄に、石川県の七尾市や輪島市で唄われている『まだら節』という祝儀唄があります。 江戸時代、富山湾のぶりを飛騨高山を経て信州松本まで運んだ道を『ぶり街道』と呼ぶそうです。昔はこの街道を通って、人の手と足で生活物資が運ばれました。飛騨の人々にとって、富山湾でとれたぶりは本当にご馳走だったことでしょう。 能登から、富山県の漁港地魚津、岩瀬、新湊に伝わった『まだら節』はやがて、生活物資と共に、ぶり街道や庄川を通って飛騨地方へ伝えられたのでしょう。『めでた』が『湊(みなと)』ととも呼ばれる由縁です。 『めでためでたの 若松さまよ 枝も栄える 葉も茂る』という歌詞は、一般的に、山形県の代表的な民謡である『花笠音頭』で知られていますね。但し、メロディーは全く違います。 調べてみると、花笠音頭は、大正時代に尾花沢市付近で灌漑用の人造湖の築堤工事があって、その作業唄(土搗き唄)から生まれた唄のようですから、比較的新しい民謡ということになります。 それに対して、飛騨関係の民間史料によると、江戸後期の天保元年(1830年)の記述に、『目出度謡(めでたうたい)』という項があって、『ひざをたたき手をうって唄う歌なり、目出度(めでた)と言う』とあるそうです。 *** 佐賀県唐津市の名護屋港から 12km沖の玄界灘上に、周囲 14kmの馬渡(まだら)島という小さな島が浮かんでいます。大陸交通の中継地としての歴史を持つ漁業の島ですが、ネット検索してみると、まず目に入るのが白亜のカトリック天主堂の写真です。 寛政年間(1789〜1801)に、長崎県から迫害に耐えかねて移り住んだカトリック教徒の住む新村(山頂)と仏教教徒の住む本村(麓)に、併せて 600人の人々と野生のキジやヤギが住んでいる島です。 ・馬渡島の位置を地図で確認する → http://washimo-web.jp/Information/madara.gif 鎌倉時代に、この馬渡島で生まれた漁師唄が、九州西岸地方から日本海側を北上する北前船の船乗りたちによって北陸地方に伝えられたのが『まだら節』だと言われます。 実際、『まだら』の分布は、九州地方と日本海沿岸都市にかたよっているそうです。県名でいうと、秋田県、新潟県、富山県、石川県、佐賀県、鹿児島県、長崎県などですが、ただし、現在では、石川県の『七尾まだら』『輪島まだら』、富山県の『岩瀬まだら』などのほか、長崎市の2〜3ヶ所で唄われている以外は、ほとんど唄われていないそうです。 *** 昨年、風の盆で訪れた越中八尾の『越中おはら節』は、熊本県牛深(うしぶか)市の『牛深ハイヤ節』の流れを汲むと言われ、今回訪れた富山県五箇山の『麦や節』や岐阜県飛騨地方の『めでた』は、その源流が佐賀県の小さな島にありました。 人が生きるためには、厳しい労働をしなければなりませんでした。その労をいやし、励まし喜び合う唄として生まれた民謡が、それを愛する人たちによって各地に流布・伝播され、新たな地で発達・変遷して行ったことを、訪れたそれぞれの土地の風景や情景を思い出しながら考えてみると感慨深いものがあります。 【参考サイト】 このレポートは、下記のサイトなどを参考にして書きました。 ・飛騨市観光サイト(飛騨古川) ・ちょこっと高山 別れの季節(めでた) |
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2006.06.28 | ||||
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