コラム  ・栗野岳温泉と南洲翁   
− 栗野岳温泉と南洲翁 −
鹿児島県姶良郡湧水町に、霧島連山の西端部を構成する標高1,102mの栗野岳があります。杉木立を縫って標高700mまで上った栗野岳の中腹にあるのが一軒宿の秘湯『栗野岳温泉・南洲館』。
 
この温泉場は、もともとは、明礬(ミョウバン=天然の温泉に含まれる硫酸カリウムアルミニウム十二水和物)を採掘する山として江戸時代中期に開かれた明礬山でしたが、明治期になり、海外から安い明礬が入るようになって、明礬山としての需要が低下すると、もともあった温泉が湯治場として利用されるようになりました。
 
南洲館は明治39年(1906年)の創業で、現在のオーナで4代目。名前の『南洲館』はかつて西郷隆盛(南洲翁)が湯治に逗留したことに由来し、『南洲翁遊猟之地』と刻んだ石碑が建てられています。
 
明治6年(1873年)11月に、いわゆる征韓論に敗れ下野して鹿児島に帰ってきた西郷隆盛は、私学校を建てるなどして後進を指導しましたが、明治8年から明治9年にかけては自宅でくつろぐか、県内各地の野山に出かけて兎狩りをしては温泉保養を楽しむことが多かったといわれます。
 
西郷隆盛が愛した温泉場として、栗野岳温泉のほか、日当山温泉(霧島市隼人町)、川内高城温泉(薩摩川内市)、吹上温泉(日置市吹上町)、鰻温泉(指宿市)などが知られています。
 
栗野岳温泉には明治9年に一ヶ月間逗留。その翌年の明治10年(1877年)1月29日、根占(ねじめ、鹿児島県南大隅町)の木賃宿を定宿にして狩りに出ていた西郷は、鹿児島城下の私学校生が城下の弾薬庫を襲撃したという知らせを受けます。『ちょしもた!』(しまった!)と一瞬怖い顔で深いため息をつき、鹿児島に向かったと言われます。西南の役の勃発でした。
 
南洲館の裏山にある『八幡地獄』は、もともと明礬(ミョウバン)を採掘する山だったことから、ほかの『地獄』とは異なる規模と雰囲気があります。南洲館には3つの湯(蒸し湯、桜湯、竹の湯)があり、料理は八幡地獄の蒸気による『鶏の丸蒸し』が有名です。(下記の旅行記があります)
 
 ◆旅行記 ・栗野岳温泉南洲館 − 鹿児島県湧水町
 

2016.11.02
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