レポート  ・歩くタラヤナ 〜 『国をつくるという仕事』を読む(1)   
 
− 歩くタラヤナ 〜 『国をつくるという仕事』を読む(1) −
求めて止まなければ、やって来てくれる。出合(会)いとは一面、そういうものかも知れません。国民の心理的な幸せなどを指標とする『国民総幸福量』(GNH) を重視する国として知られ、昨年(2011年)の11月、若き国王夫妻が来日されて話題になった、南アジアの小国・ブータンに憧れていると、ブータン在住のNさんからブータンの写真をたくさん送って頂き、ブータンについて調べ始めるきっかけになりました。
 
そのNさんが、ブータンを知る書籍としてまず一番に薦めてくれたのが、西水美恵子さんのお書きになった『国をつくるという仕事』(2009年4月初版発行、英治出版)という本でした。その本を、感銘を受けながら読んでいると、当のご本人の西水さんに、”ワシモのホームページ”をお目に留めて頂き、メールとともに、数編の珠玉のコラムを送って頂いたのでした。
    
そして、NHKBSプレミアムで、旅のチカラ『幸せの国で、聖なる踊りをUSA(EXILE)ブータン王国』(2月14日(火)午後8時〜8時57分)という番組が放映されるのを知りました。
 
日本の14人組ダンス&ボーカルユニットEXILE(エグザイル)のメンバーで、斬新なパフォーマンスで異彩を放つダンサーとして知られるUSA(ウサ)さんが、旅人となってブータン王国を訪れ、チャム(仮面舞踏)と呼ばれる踊りに挑戦します。
 
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通常は、僧侶の祈りの式の時だけに踊られる踊りですが、ブータン東部の小さな村の祭りで踊ることを許されたUSAさんは、3日間の猛特訓を受けます。しかし、ブータン人にさえ踊るのが難しいといわれるチャム。裸足で踊る、馴れない踊りに、さすがのUSAも悲鳴をあげ、パニックに陥ります。
 
チャムは、聖者グル・リンポチェが悪霊を追い払う踊り。仮面をつけた瞬間から人間ではなく、神になって、生きとし生けるものすべてから悲しみや苦しみが去りますようにと祈る踊り。そんな神聖な、神ごとの舞台には上がれないと、USAさんは弱気になります。
 
ブータンでは、大切な客を迎えるとき、親戚だけでなく近所の人たちも集まってきて一緒に食べてもてなします。米で作った酒に卵を入れて振る舞います。踊りの先生は35歳、米を作って暮らす農家。USAさんのために、新しい寝具を用意してくれました。特訓から帰ると、お湯を沸かして待っていてくれた先生の奥さんが、疲れた足を洗ってほぐしてくれます。
 
女性たちは朝から機織り。自給自足の生活のなかで、貴重な唯一の現金収入源です。そんななかで皆に励まされ、USAさんは元気をもらいます。3日間の過酷な練習を乗り切ったUSAさんは、ラディという村のラカン(寺院)で30分のチャムを踊り切りました。
 
仮面を脱いで、神から人間に戻ったUSAさんの目には涙が・・・。良かった、良かった、あなたに会えて良かった。USAさんの心は幸せに満ちています。USAさんは、USAさんを祝福してくれる人たちに、たずね回ります。 Are You Happy? I am Happy! Are You Happy? I am Happy!  ・・・・。ブータンの人々がなぜ幸せなのか、USAさんは知るのでした。
 
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USAさんの訪れたラディ村は、ブータンの東部のタシガンにある村です。この辺りも例にもれず、尾根伝いの斜面に張り付くように村が散在しています。その遠景が、テレビの画面に映し出されます。西水美恵子さんの著書『国をつくるという仕事』の『歩くタラヤナ』という章の記事が思い出されました。
 
平面面積は九州程度でも、立体地図上では決して小国ではないブータン。約67万人の国民の大半が、厳しい地形の下で、日照時間の多い山肌を求めて散在しているため、人口密度は一平方キロ当たりたった15人に過ぎないそうです。そのような離村の多くが、車が通れる幹線道路から徒歩で片道一週間前後かかる僻地にあります。
 
ドルジ・ワンモ・ワンチュク王妃は、『今歩かなければ母国を知らぬまま一生を終えてしまう』と、僻地行啓の旅に出ます。王妃は、行啓を始めてすぐ、貧困という名の罠に捕らわれた国民の存在を知ります。孤児、身寄りのない老人、身体障害者、義務教育は無料でも、制服を買う余裕のない親と、通学できない子の嘆き。酸素の薄い大気にあえぎ、雨期には蛭(ひる)に血を吸われ、高山病にまでかかっても、王妃は、自らに野宿を強いて歩き続けました。
 
〜 『傷つきやすい民』に出会うたび、一時金を渡し、必要に応じて年金の手配もした。しかし『私のお小遣いでは賄いきれなくなってしまった』と笑う王妃。『自由にできる自分名義の貯金』をはたいて、タラヤナ財団を設立した。2003年5月吉日のことだった。
 
タラヤナすなわち観音菩薩。その本願のごとく、財団は大慈大悲で民を救い、幸せな国づくりへの貢献を目的とする。(中略)王妃は今日も歩き続ける。タラヤナは衆生の求めに応じて姿を変える変化観音。信心深い国民は、王妃を『歩くタラヤナ』と呼び、財団の活動をささやかな寄付と労力奉仕で支え続ける。(歩くタラヤナ)から〜
 
嬉しいことに、この章の全文を、西水美恵子さんご本人の朗読で聞くことが出来ますので、是非お聞き下さい。
 
・『国をつくるという仕事』歩くタラヤナ | ソフィアバンク・ラジオ・ステーション
    → http://www.sophiabank.co.jp/archives/2162
 
『国をつくるという仕事』というこの本は、表紙を開いた”はじめに”の冒頭から、
読む人を惹きつけます。
 
1980年の春、米国プリンストン大学で経済学を教えていた西水さんは、その年の夏から始まる研究休暇の一年を、世界銀行の研究所で過ごさないかと誘われ、週末のある日、ふと思いついて、エジブトの首都カイロ郊外にある貧民街に足を運びました。
 
その路地で、ナディアという病む幼女に出会います。看護に疲れきった母親から抱きとったとたん、その羽毛のような軽さにどきっとさせられました。緊急手配した医師は間に合わず、ナディアは、西水さんに抱かれたまま、静かに息をひきとりました。
 
〜 誰の神様でもいいから、ぶん殴りたかった。天を仰いで、まわりを見回した途端、ナディアを殺した化け物を見た。きらびやかな都会がそこにある。最先端をいく技術と、優秀な才能と、膨大な富が溢れる都会がある。でも私の腕には、命尽きたナディアが眠る。悪統治。民の苦しみなど気にもかけない為政者の仕業と、直感した。脊髄に火がついたような気がした。(はじめに)から 〜
 
学窓に別れを告げ、貧困と戦う世銀に残ることを決めます。それから23年間におよぶ西水さんの、『貧困のない世界をつくる』夢を追う、毎日が始まりました。
 
 1980年 世界銀行に入行、開発政策局・経済開発研究所
 1983年 同、産業・エネルギー局産業戦略・政策課(エジプト・タイ・ハンガリー・
     中国などを担当)
 1987年 同、欧州・中東・北アフリカ地域アフガニスタン・ パキスタン・トルコ局
     リード・エコノミスト
 1988年 同、欧州・中東・北アフリカ地域アフガニスタン・パキスタン・トルコ局
     通商・産業・金融課課長
 1992年 同、国際復興開発銀行リスク管理・金融政策局局長
 1995年 同、南アジア地域アフガニスタン・バングラデシュ・パキスタン・スリラ 
     ンカ局局長
 1997年 同、南アジア地域副総裁
 2003年 世界銀行退職
 
現在、米国のワシントンD.C.とイギリス領ヴァージン諸島に在留。世界を舞台に、執筆や、講演、様々なアドバイザー活動を続ける。2007年より、シンクタンク・ソフィアバンクのシニア・パートナー。
 
著書『国をつくるという仕事』は、世界銀行で副総裁まで務めた西水美恵子さんが、23年間におよぶ世銀での実務の中で見聞した発展途上国の実態や、頭とハートがしっかりつながり、言葉と行動に矛盾のない、忘れえぬリーダたちのことを綴った回想記になっています。
 
〔用語〕
行啓(ぎょうけい)=皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が外出すること。
 
【備考
(1)西水美恵子さんの詳しいプロフィールは、下記のサイトなどにあります。
     → http://www.eijipress.co.jp/sp/kuni/author.php
(2)『国をつくるという仕事』の印税はご本人の意向により、すべて『雷龍の国』
   ブータンのタラヤナ財団に寄付されています。
(3)下記に、タラヤナ財団のホームページ(英文)があります。
     → http://www.tarayanafoundation.org/
(4)下記のレポートがあります。
  ・貧困とリーダー 〜『国をつくるという仕事』を読む(2)
     → http://washimo-web.jp/Report/Mag-KuniwoTsukuru02.htm
  ・不変なもの 〜『国をつくるという仕事』を読む(3)
     → http://washimo-web.jp/Report/Mag-KuniwoTsukuru03.htm   
 

  2012.02.22
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