レポート  ・柴田トヨさんと詩集『くじけないで』   
− 柴田トヨさんと詩集『くじけないで』 −
栃木県宇都宮市郊外で独り暮らしを続ける99歳(2011年6月で100歳)の柴田トヨさんの処女詩集『くじけないで』(飛鳥新書/2010年3月初版第一刷発行)は、 140字程度のツイッター文のような短い詩42作品を収録した詩集です。
 
詩集が2010年3月に発売されると、2011年1月現在で 110万部を記録する大ベストセラーに。詩集としては異例のことだそうです。2010年の大晦日、NHK 総合テレビがヒューマンドキュメンタリー『99歳の詩人 心を救う言葉』を放映し、トヨさんとその詩が多くの人々を励ましている姿を伝えました。明けて1月9日にNHK BS2 でアンコール再放送。
 
柴田トヨさんが詩を書くようになったのは90歳を過ぎてからのことでした。トヨさんは、明治44年(1911年)、裕福な米穀店の一人娘として宇都宮市に生れましたが、父が生来の怠け者で、徐々に生活が傾き、トヨさんが10代の頃、家は他人の手に渡り、五軒長屋の小さな家に親子3人で住むようになります。
 
20歳のとき、親類の紹介で見合い結婚しますが、お金を一切家に入れない人だったため半年余りで離婚し、その後10年余り、旅館や料理屋の仲居、和裁の内職で生計をたてる生活を続けていました。33歳のとき、2歳年上の調理師、柴田曳吉さんと結婚し、翌年に息子の健一さんを授かります。
 
曳吉さんとは81歳のとき死別、それ以降、宇都宮市郊外の、3畳の台所と 4.5畳間が3つの平屋の一軒家で一人暮らしを続けています。50歳をすぎて夫婦で買ったマイホームだそうです。車で1時間のところに住む一人息子の健一さんが、うちへ来て一緒に住む気はないのと、誘っても『独りがいいの、気をつかわないし、独り暮らしが一番いい』とトヨさんはいいます。
 
趣味は、若い頃は読書、映画、歌謡曲観賞。地元出身の作曲家、船村徹さんの歌謡曲が好きで、とくに船村さんが作曲した『別れの一本杉』の詞(26歳の若さで亡くなった高野公男さんの作詞)に感動したそうです。熟年時代の趣味は、日本舞踊。
 
トヨさんが、92歳のとき詩を書くようになったきっかけは、息子の健一さんのすすめでした。腰を痛め、趣味の日本舞踊が踊れなくなり、気落ちしていたのをなぐさめるためだったそうです。作った詩を産経新聞の『朝の詩(うた)』という読者投稿欄に投稿すると、たちまち読者の心を引きつけて反響を呼びます。トヨさんの詩は、詩人で『朝の詩』の選者、新川和江氏に高く評価され、『くじけないで』という一冊の詩集にまとめられ出版されました。
 
毎日通って来て生活の手助けをしてくれるヘルパーさん、2〜3日おきに様子を見にくる健一さん、訪問治療をしてくれるお医者さんたちに支えられて独り暮らしを続けるトヨさんは、自分の家の窓から見える日常の風景に想像力を働かせ、言葉を紡いでいきます。100歳になる2011年6月までに次の詩集を出すのが目標だそうです。
 
『ふと、やさしい気持になれるときがあれば、人は前向きに生きていける。』自分を励ましながら、人をも励ます柴田トヨさんのみずみずしい詩は、多くの人の心を引きつけ続けています。下記のサイトで、詩集『くじけないで』のPR映像を見ることができます。
  
・くじけないで - 株式会社 飛鳥新社
  → http://www.asukashinsha.co.jp/book/b59972.html
 
【備考】
このレポートは、下記の図書、サイト等を参考にして書きました。
(1)柴田トヨ・著『くじけないで』飛鳥新書/2010年
  (平成22年)3月初版第一刷発行/定価\952+税
(2)株式会社飛鳥新社の公式ホームページ
   → http://www.asukashinsha.co.jp/
(3)NHK テレビがヒューマンドキュメンタリー『99歳の詩人
   心を救う言葉』(2010年12月31日総合テレビで放映、
   1011年1月9日BS2で再放映)
(4)ウィキペディアの『柴田トヨ』のページ

   

2011.01.10  
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