雑感  ・ここと今と個人と 〜 海からの贈物を読んで(1)〜   
− ここと今と個人と 〜 海からの贈物を読んで(1)〜 −

テレビ、携帯電話、インターネットなど、マスメディアや情報通信の進歩によって、私たちは居ながらにして世界の情報を入手できます。欲しいと思わないのに、情報が勝手に飛び込んでくるぐらいです。


私たちは、隣り近所の出来事よりも、むしろ海外の遠い国で起きた出来事の方をよく知っています。事件が起きるとメディアは、その背景まで含めて報道し、解説してくれます。多くの評論家や学者は、政治・経済・社会の動向と展望について論評してくれます。


お蔭で、私たちは多くの重要なことについて関心を持ち、視野を広げて世界に目を向け、将来のことを考えます。それは意義あることなのですが、1927年(昭和2年)に、ニューヨーク〜パリ間の大西洋単独無着陸横断飛行に成功したアメリカのリンドバーグの夫人アン・モロウ・リンドバーグは、彼女の著書『海からの贈物』(Gift FromThe Sea)で、次のように述べています。


『私たちは、多数の人々のそれぞれ一人一人について考えるわけにはいかないから、多数という一つの抽象として扱おうとする。現状に手を焼いて、将来のもっと簡単な夢に生きようとする。自分のいる場所よりむしろ遠く離れた所で起きている問題に興味を持ち、論じ合う』と。


この本は、今から約40年前の1960年代にアメリカ人向けに書かれたものですが、今や私たちもまったく同じ事態に直面しています。当時より、情報化・グローバル化が進んでいるので、むしろ現在の我々の方がその度合いが強いかも知れません。


メディアから毎日のように茶の間に流れる「グローバル化」「将来」「国」という言葉。私たちは、とても重要に響くこれらの言葉の呪縛(じゅばく)にでもかかったかのように、出発の原点である「ここ」と、「今」と、「個人」への意識を希薄にしているのではないでしょうか。


女史は、意識は外に向かうばかりで自分を内部に向かわせることが少なくなったと指摘します。自分を見詰めないと。内部が詰まっていないと。それは、一人になること、外部との関係を絶って孤独になることがあまりにも少なくなったからだと言います。一人になれば、見えてくるもの、いとおしく思えてくるものは、個人であり、今であり、ここであるということでしょう。


何か事件が起きます。青少年問題や若年層の就業意識の問題や年金未加入問題、少子化の問題等々、社会問題が表面化します。私たちは、時代や社会の背景を考えますが、時代や社会の背景を作っているのは他ならぬそれぞれの個人です。自分の、自分の家族の、自分の子供たちの内部へ向かって、問題を問いかけ続けることが出発の原点であるように思います。

2004.10.27  
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