レポート  ・清水の舞台から飛び降り、生存率85%   
− 清水の舞台から飛び降り、生存率85% −
”思い切って大きな決断をすること”のたとえとして使われる『清水(きよみず)の舞台から飛び降りる』という言葉は、そもそも、本当に飛び降りた人々がいたから生まれた言葉だそうです。
 
京都市東山区にある清水寺(きよみずでら)の本堂の舞台は、山の斜面にせり出すように建てられ、先端部は地上から約12メートルあり、4階建てのビルに相当する高さです。おもしいことに、江戸時代にこの舞台から飛び降りた人たちに関する詳細なデータが残っているそうです。
 
清水寺の境内に成就院(じょうじゅいん)という塔頭(たっちゅう)があります。塔頭とは、大寺院の敷地内にある小寺院や別坊のことで、成就院は清水寺の財務や対外交渉を担当した塔頭でした。『清水寺成就院日記』という文献には江戸時代の1694年から1864年のうち、欠落部を除く148年分の記録が記されているそうです。
 
その文献によると、江戸時代に 234人が清水の舞台から飛び降り、うち死亡者は34人で、約85%の生存率。当時は舞台の下に木々が多く茂り、地面も軟らかな土だったということで、意外と亡くなる人が少なかったようです。
 
そもそも、清水の舞台から飛び降りるのは、決して自殺願望からではなく、あつい信仰心からだったそうです。清水寺の御本尊は観音様です。『観音様に一心に命を預けて飛び降りれば、命は助かり願いがかなう』という民間信仰が広まって大流行になりました。
 
困り果てた寺は、防止柵をつけるとか、人々が飛び降りないよう指導して欲しいと、京都町奉行所へ何度もお願いしましたが、明治時代に入って、ようやく舞台の周りに竹矢来が組まれ、京都府から禁止令が発令されて終息したのだそうです。
 
さて、『飛び降りた人』の内訳は、10〜20代の若者が53%以上を占め、最年長は80歳で最年少はなんと12歳。また性別では女性が圧倒的で70%。2度飛んで2度とも助かった女性もいたとか。階級別では、武家や公家が飛ぶ降りたという記録はなく、若い僧侶や尼僧が約7%。飛び降りたほとんどが一般庶民だったそうです。
  
【参考にしたサイト】
(1) 清水の舞台から…(日本経済新聞(2013/11/24))
(2) 清水寺 よだん堂
   → http://www.kiyomizudera.or.jp/yodan/vol1/index.htm

2015.03.18
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