レポート  ・霧島山噴火と田の神   
− 霧島山噴火と田の神 −
先月(2011年1月)26日から起きている霧島山・新燃岳(しんもえ)岳の爆発的噴火は、周辺の宮崎県都城市や高原(たかはる)町、日南市などに火山灰を降らせ、住民生活に支障が出たり、降り積もった灰で畑の野菜が収穫できなくなるなど被害が深刻化してきています。噴火が長引けは、周辺の地域経済へも深刻な打撃を与えることが懸念されます。
 
霧島山は、鹿児島県と宮崎県の県境付近に連なる山々の総称であり、霧島連山、霧島連峰とも呼ばれます。新燃岳や御鉢などが現在も活動を続ける活火山ながら、1959年(昭和34年)の新燃岳の噴火以来52年間噴火が起きていなかったこともあって、静かで穏やかな山として、観光や登山に親しまれてきました。新燃岳でさえ、その火口湖が溜息がでるぐらい美しいエメラルドグリーンの山として人気の登山コースだったものです。
 
しかし、かつて人々が霧島山の大噴火に壊滅的な打撃を受け苦しんだという歴史がありました。噴火の被害を受けた人々は、復興に向けて奮闘しながら、二度と噴火が起きないよう祈ったのです。霧島山の怒りを鎮める信仰を田の神文化にみることができると言われます。
 
田の神は、その名の示す通り田んぼを守り、米作りの豊作をもたらす農業神として、稲作のある日本全国各地で信仰され伝承されていますが、それが石像として田んぼの畦(あぜ)などにあるのは、鹿児島を中心とした旧薩摩藩領(鹿児島県本土および宮崎県南部)に限られます。現在、約2000体の田の神が確認されていると言われます。
 
田の神像は、江戸時代中期の宝永年間(1704〜1710年)頃、鹿児島県薩摩地方に発生しますが(但し、正保元年(1644年)の年号が刻まれた田の神像も発見されている)、その頃の田の神像は地蔵型(仏像型)のものでした。
 
その後、享保年間(1716〜1735年)に各地に広まるにつれて、地蔵型の田の神像は少なくなり(これは、薩摩藩が一向宗を禁止していたことと関係があるのではないかと言われています)、鹿児島では農民型が主流になっていきます。一方、宮崎では衣冠束帯(いかんそくたい)の服装で手にシャクを持ち、神前に座るような姿をした神官型の田の神像が見られるようになりました。
 
神官型の田の神像が多く見られるのが宮崎の田の神文化の特徴で、例えば小林市(旧野尻町を含む)では、86体のうちの48体が、都城市では、 130体のうち58体が神官型の田の神像だと言われます[1]。 神官型の最初のものは、享保5年(1720年)に建てられた宮崎県小林市真方新田場の田の神像であり、小林市の脇元と宮崎県えびの市の中内堅には、いずれも享保10年(1725年)に建てられた神官型の田の神像が現存します。
 
霧島山・新燃岳が大噴火を起こし、神社をはじめ周辺の家屋や山林などが壊滅的な打撃を受けたのは、享保元年(1716年)のことでした。噴火は1年半にわたって続き、人々を苦しめました(今回の新燃岳の噴火もそのときの噴火に似ているといわれ、長期化が懸念されています)。
 
霧島山の裾野にあたる宮崎県南部に田の神が広まっていき、神官型の田の神像が出現し始めるのは、霧島山大噴火からの復興期とちょうど時期が重なります。古くから噴火を繰り返す霧島山への信仰は、性空(しょうくう)上人らによって10世紀頃には体系づけられており、山伏による修験道が盛んだったと言われます[2]
 
山伏は神官を兼ねており、各地を旅する彼らはまた、新しい知識や農業技術を見聞して伝える地域のリーダーとしても受け入れられていました。山の神が里に降りてきて田の神信仰と重なり合ったとしても不思議ではありません。
 
農民たちは、田の豊作を祈願するとともに、これ以上噴火の災害が起きないよう願いました。その際、山の怒りを鎮める願いを込めて、威厳のある神官の姿をした田の神像が登場したのではないかと言われています。小林市の南部、高原町との境の水田の端に鎮座する柏木ノ上の田の神像のように、田の神像の多くが霧島山に向かって建てられています。
 
神官型の第一号と言われる小林市真方新田場の田の神像の、実にカラフルで綺麗なお化粧姿をご覧下さい。今でも毎年田の神祭りが行われ、お化粧直しがされています。享保の人々が建てた田の神像は、 290年という永きにわたって、大切に引き継がれ続けてきたのです。
 
そして、田の神像には、豊作とともに人々の霧島山よ鎮まって欲しいという願いが託されているのです。霧島山噴火の一日も早い鎮静化を祈りながら、最新の火山噴火予知技術等を駆使した関係機関の、被害を最小限に食い止める取り組みをお願いしたいという思いです。
 
【備考】
下記のページで神官型の田の神像がみれます。
旅行記 ・小林市の田の神 − 宮崎県小林市
 
【参考にしたサイト】
[1] 宮崎の田の神図鑑 − 宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
[2] 霧島信仰と田の神さあ − 宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
 
【お薦めサイト】
特集 田の神さぁ − 目次(INDEX)
 

 2011.02.09
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