レポート  ・宮沢賢治の童話から   
− 宮沢賢治の童話から −
土神ときつね
宮沢賢治の短編作品『土神ときつね』[1] は、生きる者が持つ『業』(ごう)がテーマになっている物語です。土神(つちがみ)と茶いろの狐(きつね)は、一本の綺麗な女の樺(かば)の木に好意を抱いていました。狐は上品な風で、めったに人を怒らせたり気にさわるようなことはしなかったけど、少し不正直だったので、樺の木以外に友達がありませんでした。
 
一方、土神はごく乱暴で意地が悪く、髪もぼろぼろで、木綿糸の束のような眼は赤く、着物もまるで若布(わかめ)のようです。正直だったけど、そんな風なので、土神の祭にもだれも供物一つ持ってきません。
  
狐は仕立ておろしの紺の背広を着て、赤革の靴をキッキッと鳴らしながら、手にハイネの詩集を持って樺の木のところに遊びに行きます。詩について、天体について語り合い、『実は、望遠鏡をドイツのツァイス(有名な光学器機メーカー)に注文してあるんです。届いたら見せてあげましょう。』と狐はいいます。
 
狐と樺の木のそんな楽しそうな光景を目にすると、土神は『ああつらいつらい、飛び出して行って狐を一裂きに裂いてやろうか』と嫉妬で激情せずにはおれないのでした。しかし、一方で、神の分際でこんなことで良いのか、結局自分は狐より劣った存在ではないかと自問し、劣等感に苦しみます。けれでも、樺の木が忘れられず、狐のことが気になるばかりです。
 
そのうちにとうとう秋になりました。その頃には、土神は気持ちも落ち着きを取り戻し、嫉妬などもうやかないと思えるようになり、上機嫌になってそのことを樺の木に告げにゆきます。
 
ところが、そこに、狐がやってきたのです。土神は平静を保とうと試みますが、狐が帰りがけに土神に挨拶もしないでさっさと戻り始めると、嫉妬心がめらめらと再燃して理性を失い、狐を殺してしまったのです。
 
狐を地べたに投げつけてぐちゃぐちゃにし、踏みつけて殺してしまってから、土神はぐったり横になっている狐の屍骸のレインコートのかくしの中に手を入れてみます。そのかくしの中に入っていたのは、茶色のカモガヤの穂2本だけでした。
 
土神は、嫉妬のあまり殺してしまった狐が2本のカモガヤの穂とハイネの詩集しか持たない、虚言癖のある、自分と似た境遇の哀れな存在であったことに気づいて、途方もない声で泣き出すのでした。
 
〜その泪(なみだ)は雨のように狐に降り狐はいよいよ首をぐんにゃりとしてうすら笑ったようになって死んでいたのです。〜
 
『ツァイスの望遠鏡を注文した』というのもうそでした。『ああ僕はたった一人のお友達にまたついうそを云ってしまった。』『ああ僕はほんとうにだめなやつだ。』狐もまた虚言癖という『業』に苦しんでいたのでした。狐の笑みは、土神に対する嘲笑というよりは、殺害者によって業の苦悩から解放されたという皮肉に向けられたものと考えられています[2]
  
なめとこ山の熊
『土神ときつね』は、生きる者が持つ『業』(ごう)がテーマの物語でしたが、短編作品『なめとこ山の熊』[3] も、殺生が嫌いでも熊を殺して生計を立てざるを得ない宿業を背負った猟師と、皮を剥がれ胆(い)を取られる宿命にある熊の物語です。
  
なめとこ山の熊の胆は、腹の痛いのにも効けば、傷も治るというので、有名になっていました。鉛の湯の入口に『なめとこ山の熊の胆あり』という昔からの看板もかかっていました。ですから、熊捕りの名人の淵沢小十郎は、なめとこ山の熊を片っぱしから捕るのでした。
 
しかし、小十郎は、本当は熊を撃つ商売が好きではありませんでした。他の罪のない仕事をしたいのですが、畑はないし、木はお上のものに決ったし、里へ出ても誰も相手にしてくれないので、仕方なしに猟師をやっていたのでした。小十郎は、鉄砲を木に立てかけて、熊が死んだのを注意深く確かめるときいつも『てめえも熊に生れたが因果なら、おれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れるなよ』というのでした。
 
ある日、犬を連れて山に入った小十郎は、母親とやっと一歳になるかならないような子熊が、ちょうど人が額に手をあてて遠くを眺めるといったふうに、淡い六日の月光の中で向うの谷をしげしげ見つめているのに出会いました。
 
小十郎は、まるでその二ひきの熊の体から後光が射しているように思えて、まるで釘付けになったように立ちどまってそっちを見つめていました。すると、『どうしても雪だよ、おっかさん、谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん』と小熊が甘えるように言います。
 
すると母親の熊は、まだしげしげ見つめて
『雪でないよ、あすこへだけ降るはずがないんだもの』
子熊は、また言いました。
『だから溶けないで残ったのでしょう』
『いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです』
 
小十郎もじっとそっちを見ました。
 
月の光が青じろく山の斜面を滑っていました。そこがちょうど銀の鎧(よろい)のよ
うに光っていました。しばらくたって子熊が言いました。
『雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ』
 
『おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花』
『なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ』
『いいえ、お前まだ見たことありません』
『知ってるよ、僕この前とって来たもの』
『いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう』
『そうだろうか』子熊はとぼけたように答えました。
 
小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになって、もう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光を浴びて立っている母子の熊をちらっと見て、それから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめました。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退りするのでした。
 
なんで詩的な描写でしょうか。月光を浴びて立っている母子の熊を胸をいっぱいにして見つめている小十郎の姿は、熊を撃つのが嫌いというより、熊たちを愛(いと)しいとさえ思う気持ちを如実に物語っています。それでも、小十郎は、熊の皮を剥ぎ、胆をとって町に売りに行かねばならないのでした。
 
山では豪儀(ごうぎ)な小十郎も、町へ売りに行くときのみじめさと言ったら全く気の毒でした。というのは、ずるい荒物屋の主人に、納得の行かない安い値で買い叩かれるのですが、生活がかかっている小十郎は、不当に安いと分かっていながら、仕方なく手放してしまうのでした。
 
そんなある夏の日、目の前の木によじ登っている大きな熊に鉄砲をつき付けて撃とうとすると、熊が『もう二年ばかり待って欲しい。死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども、少しし残した仕事もあるし、ただ二年だけ待ってくれ。二年目には家の前でちゃんと死んで、毛皮も胃袋もやってしまうから』と頼むのでした。
 
それからちょうど二年目のある朝、外で何か倒れた気配がしたので、小十郎が外へ出てみると、例の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れていました。小十郎は思わず拝むのでした。
 
明けて一月のある日、小十郎は、『水に入る(猟を始める儀式)が初めて嫌になったような気がする』と母親に弱音をはいて山に入ります。頂上にたどりついたとき、夏に眼をつけておいた大きな熊が現れたので撃とうとしますが、撃ち損じて熊に襲われてしまいました。
 
小十郎は、『お前を殺すつもりはなかった』という声を聞いたように思い、ちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに光るのを見て死を悟り、『熊どもゆるせ』と心でつぶやいて死んでいきました。三日後、小十郎のために数多くの熊が集まって、盛大な弔いを行うのでした。思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴え冴えして、何か笑っているようにさえ見えるのでした。
 
宮沢賢治は、自ら菜食主義を試みるほど無益な殺生に嫌悪を感じる人であり、『注文の多い料理店』に登場するような娯楽的な狩猟を軽蔑していました。しかし、この作品に登場する熊撃ちは自然のいとなみとして扱われ、そこに登場する猟師も自然の一部として描かれています[4]
 
一方、この作品は、資本主義経済における搾取性にも言及していて、荒物屋の主人について、作品の語り手は『こんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく』と述べており、極端な搾取の手口に対する批判が向けられています[4]
 
何か笑っているようにさえ見える小十郎の死顔は、『土神ときつね』で土神に殺されてしまった狐の笑みの死顔に通じるものがあります。すなわち、小十郎の笑みは、殺生の対象だった熊に殺されることでやっと業の苦悩から解放されたという笑いに違いありません。
 
【用語】
〔業〕ごう=人が担っている運命や制約。主に悪運をいう。
〔胆〕い=胆嚢 (たんのう) 。きも。
 
【参考】
[1]『土神ときつね』は、『風の又三郎』(宮沢賢治・著、角川文庫/平成8年6月改訂新版発行)に収録されています。また、青空文庫で読むことができます。
[2]土神ときつね - ウィキペディア
[3]『なめとこ山の熊』は、『風の又三郎』(宮沢賢治著、角川文庫/平成8年6月改訂新版発行)に収録されています。また、青空文庫で読むことができます。
[4]なめとこ山の熊 - ウィキペディア
  

2010.04.14 
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