レポート | ・山頭火と川棚温泉 〜 行乞記より |
− 山頭火と川棚温泉 〜 行乞記より −
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種田山頭火が、佐賀県の嬉野温泉を昭和7年3月21日に発って、佐世保、平戸、唐津、小倉を経て、川棚温泉(山口県豊浦郡川棚村(現・下関市豊浦町))にたどり着いのは、同年5月24日のことでした。 川棚温泉の地がすっかり気にいった山頭火は、ここを終(つい)の棲家とすべく、さっそく妙青寺に拝登し、お寺の土地借入と草庵建立を長老に懇願します。”私は私にふさはしくない、といふよりも不可能とされていた貯金”を始めるなどして、 100日近く川棚温泉に滞在します。 しかし、”身許保証(土地借入、草庵建立について)には悩まされた、独身の風来坊には誰もが警戒の眼を離さない”。結局、土地借入に必要な当村在住の保証人二名をこしらえられず、8月27日川棚を退去することになります。 けふはおわかれのへちまがぶらり その間の状況や心境などが、こと細かに『行乞記』に綴られていて、興味深いです。そこで、青空文庫の『行乞記』(二)(三)から、印象に残った箇所を部分的に抜き出して転載させてもらいました。 *** 〔五月廿四日〕晴、行程わづかに一里、川棚温泉、桜屋(四〇・中) (注)昭和7年5月24日、一泊四〇銭、宿の印象は「中」ということ すつかり夏になつた、睡眠不足でも身心は十分だ、小串町行乞、泊つて食べて、そしてちよつぽり飲むだけはいたゞいた。川棚温泉、妙青寺(曹洞宗)拝登、荒廃々々、三恵寺拝登(真言宗)、子供が三人遊んでいた、房守さんの声も聞える、山寺としてはいいところだが。 新緑郷 ―― 鉄道省の宣伝ビラの文句だがいゝ言葉だ ―― だ、密柑の里だ、あの甘酸つぱい匂ひは少年の夢そのものだ。松原の、松のないところは月草がいちめんに咲いていた、月草は何と日本的のやさしさだらう。 ふるさとはみかんのはなのにほふとき 〔五月廿五日 廿六日〕 嬉野と川棚とを比べて、前者は温泉に於て優り、後者は地形に於て申分がない、嬉野は視野が広すぎる、川棚は山裾に丘陵をめぐらして、私の最も好きな風景である。とにかく、私は死場所をこゝにこしらへよう。 〔六月一日〕 笠の蜘蛛! あゝお前も旅をつゞけているのか! 新らしい日、新らしい心、新らしい生活、―― 更始一新して堅固な行持、清浄な信念を欣求する。 〔六月二日〕 終日、散歩(土地を探して)と思案(草庵について)とで暮らした。 〔六月三日〕 妙青寺拝登、長老さんにお目にかゝつて土地の事、草庵の事を相談する、K館主人にも頼む。 雨、まるで梅雨のやうだ、歩いたり、考へたり、照会したり、交渉したり・・・・、たゞ雨露を凌ぐだけの庵を結ぶのもなかなかなかである。 〔六月十七日〕 土地借入には当村在住の保証人二名をこしらへなければならないので、嫌々ながら、自己吹聴をやり自己保証をやつているのだが、さてどれだけの効果があるかはあぶないものだ、本人が本人の事をいふほどアテになるものはなく同時にアテにならないものもない。 一も金、二も金、三もまた金だ、金の力は知りすぎるほど知つているが、かうして世間的交渉をつづけていると、金の力をあまり知りすぎる! 私の生活は ―― と今日も私は考へた ―― 搾取といふよりも詐取だ、いかにも殊勝らしく、或る時は坊主らしく、或る時は俳人らしくカムフラーヂユして余命を貪つているのではないか。法衣を脱ぎ捨てゝしまへ、俳句の話なんかやめてしまへよ。それにしても、やつぱりさみしい、さみしいですよ。 こゝの土とならうお寺のふくろう 〔六月十四日〕 嚢中まさに一銭銅貨一つ、読書にも倦いたし、気分も落ちつかないので、楠の森見物に出かける、天然記念保護物に指定されてあるだけに、ずいぶんの老大樹である、根元に大内義隆の愛馬を埋葬したといふので、馬霊神ともいふ、ぢつと眺めていると尊敬と親愛とが湧いてくる。往復二里あまり、歩いてよかつた、気分が一新された、やつぱり私には、『歩くこと』が『救ひ』であるのだ。 自から嘲る気分から、自からあはれみ自からいたはる気分へうつりつゝある私となつた、さて、この次はどんな私になるだらうか。いつからとなく私は『拾ふこと』を初めた、そしてまた、いつからとなく石を愛するやうになつた、今日も石を拾うて来た、一日一石としたら面白いね。 拾う ―― といつても遺失物を拾ふといふのではない、私が拾ふのは、落ちたるものでなくして、捨てられたもの、見向かれないもの、気取つていへば、在るものをそのまゝ人間的に活かすのである。いつぞやは、缺げた急須を拾うて水入とし、空罎を酢徳利とした、平ぺつたい石は文鎮に、形の好きなのを仏像の台座にした。 楠の森三句 注連を張られ楠の森といふ一樹 大楠の枝から枝へ青あらし 大楠の枝垂れて地にとゞく花 〔六月十五日〕 貧しさと卑しさとは仲のよい隣同士であることを体験した。しばらくおたよりがないから気にかゝる、とI君がいつてきた(三日間ハガキを出さないものだから)、ハガキを買ふ銭もない、とは私の口からはいへない、それでなくても私は、貧乏を売物にしているやうな気がして嫌でならないのだ、嘘をいふのは嫌だが、此場合、本当をかくことは私の潔癖が、或は見得坊が許さない、明日でも金が手に入つたら、工合がわるかつたものだから、とか何とかいつてごまかしておかうか(私はもつと、もつと卒直でなければならないのだけれど)。 こゝに滞留していて、また家庭といふものゝうるさいことを見たり聞いたりした、独居のさびしさは群棲のわずらはしさを超えている。 自殺した弟を追想して悲しかつた、彼に対してちつとも兄らしくなかつた自分を考へると、涙がとめどもなく出てくる、弟よ、兄を許してくれ。昨日も今日も連句の本を読む、連句を味ふために、俳句を全的に味ふために。どうやら『其中庵の記』が書けさうになつた。 竿がとゞかないさくらんぼで熟れる 花いちりん、風がてふてふをとまらせない 梅雨の縞萱が二三本 清澄、寂静、枯淡、さういふ世界が、東洋人乃至日本人の、ついの棲家ではあるまいか(私のやうな人間には殊に)。柿、栗、蕗、筍、雑木、雑草、杜鵑、河鹿、蜩、等々々。いづれも閑寂の味はひである。さみしい夜が、お隣の蓄音器によつて賑つた、唐人お吉、琵琶歌、そして浪花節だ、やつぱりおけさ節が一等よかつた。 〔六月廿日〕 雨、梅雨もいよいよ本格的になつた、それでよい、それでよい、終日閉ぢ籠つて読書する、これが其中庵だつたら、どんなにうれしいだらう、それもしばらくのしんぼうだ、忍辱精進、その事、その事。 雨につけ風につけ、私はやつぱりルンペンの事を考へずにはいられない、家を持たない人、金を持たない人、保護者を持たない人、そして食慾を持ち愛慾を持ち、一切の執着煩悩を持つている人だ! ルンペンは固より放浪癖にひきずられているが、彼等の致命傷は、怠惰である、根気がないといふことである、酒も飲まない、女も買はない、賭博もしない、喧嘩もしない、そしてたゞ仕事がしたくない、といふルンペンに対しては長大息する外ない、彼等は永久に救はれないのだ。 今日も焼酎一合十一銭、飛魚二尾で五銭、塩焼にしてちびりちびり、それで往生安楽国! 夏めいた灯かげ月かげを掃く 障子に箒の影も更けて わいてあふれるなかにねてゐる 〔六月廿一日〕 自分でも気味のわるいほど、あたまが澄んで冴えてきた、私もどうやら転換するらしい、―― 左から右へ、―― 酒から茶へ! 何故生きてるか、と問はれて、生きてるから生きてる、と答へることが出来るやうになつた、此問答の中に、私の人生観も社会観も宇宙観もすべてが籠つているのだ。これで田植ができる雨を聴きつゝ寝る ひとりのあつい茶をすゝる 花いばら、こゝの土とならうよ 〔七月四日〕 身許保証(土地借入、草庵建立について)には悩まされた、独身の風来坊には誰もが警戒の眼を離さない、死病にかゝつた場合、死亡した後始末の事まで心配してくれるのだ! 当家の老主人がやつてきて、ぼつりぽつり話しだした、やうやく私といふ人間が解つてきたので保証人にならう、土地借入、草庵建立、すべてを引受けて斡旋するといふのだ、晴、晴、晴れきつた。 〔七月五日〕 句集「鉢の子」がやつときた、うれしかつたが、うれしさといつしよに失望を感ぜずにはいられなかつた、北朗兄にはすまないけれど、期待が大きかつたゞけそれだけ失望も大きかつた、装幀も組方も洗練が足りない、都会染みた田舎者! といつたやうな臭気を発散している(誤植があるのは不快である)、第二句集はあざやかなものにしたい! 〔七月八日〕 建ちさうで建たないのが其中庵でござる、旅では金がなくては手も足も出ない。ゆつくり交渉して、あれやこれやのわずらひに堪へて、待たう待たう、待つより外ない。 〔七月九日〕 当地に草庵をつくるについて、今更のやうに教へられたことは、金の魅力、威力、圧力、いひかへれば金のきゝめであつた。私は私にふさはしくない、といふよりも不可能とされていた貯金を始めることになつた、保証人に対する私の保証物として!(毎月壱円) 〔七月十四日〕 曇、まだ梅雨模様である、もう土用が近いのに。今日も、待つている手紙がない、旅で金を持たないのは鋏をもがれた蟹のやうなものだ。手も足も出ないから、ぼんやりしてる外ない、造庵工事だつて、ちつとも、捗らない、そのためでもあるまいが、今日は朝から頭痛がする。・・・・ 山を歩く、あてもなしに歩きまはつた、青葉、青葉、青葉で、ところどころ躑躅の咲き残つたのがぽつちりと赤いばかり。めづらしく句もない一日だつた、それほど私の身心はいぢけているのだらうか。 〔七月廿日〕 私は今、庵居しようなどゝいふ安易な気分に堕した自分を省みて恥ぢている、悔いてもいる、しかも庵居する外ない自分を見直して嘆いている、私はやむなく背水の陣を布いた、もう血戦(自分自身に対して)する外ない。 〔七月廿三日〕 夕食後、M老人を訪ねて、土地借入証書に捺印を頼んだら、案外にも断られた、何とかかとか言訳は聞かされたけれど、然諾を重んじない彼氏の立場には同情すると同時に軽蔑しないではいられなかつた、それにしても旅人のあはれさ、独り者のみじめさを今更のやうに痛感したことである。 これで造庵がまた頓挫した、仕方がない、私は腰を据えた、やつてみせる、やれるだけやる、やらずにはおかない。・・・・ 〔八月五日〕 防府で、小郡で、その他で、山頭火後援会の会員が十口くらい出来たのは(いや出来るのは)うれしい。 〔八月八日〕 立秋、雲のない大空から涼しい風がふきおろす。秋立つ夜の月(七日の下弦)もよかつた。五六日見ないうちに、棚の糸瓜がぐんぐん伸んで、もうぶらさがつている、糸瓜ういやつ、横着だぞ! バラツク売家を見にゆく、其中庵にはよすぎるやうだが、安ければ一石二鳥だ。今日はめづらしく一句もなかつた、それでよろしい。 〔八月廿六日〕 秋高し、山桔梗二株活けた、女郎花一本と共に。 いよいよ決心した、私は文字通りに足元から鳥が立つやうに、川棚をひきあげるのだ、さうするより外ないから。・・・・ 形勢急転、疳癪破裂、即時出立、―― といつたやうな語句しか使へない。其中庵遂に流産、しかしそれは川棚に於ける其中庵の流産だ、庵居の地は川棚に限らない、人間至るところ山あり水あり、どこにでもあるのだ、私の其中庵は! ヒトモジ一把一銭、うまかつた、憂欝を和げてくれた、それは流転の香味のやうでもあつたが。精霊とんぼがとんでいる、彼等はまことに秋のお使である。 いつも一人で赤とんぼ 今夜もう一夜だけ滞在することにする、湯にも酒にも、また人にも(彼氏に彼女に)名残を惜しまうとするのであるか。・・・・ 〔八月廿七日〕 晴、残暑のきびしさ、退去のみじめさ。 百日の滞在が倦怠となつたゞけだ、生きることのむつかしさを今更のやうに教へられたゞけだ、世間といふものがどんなに意地悪いかを如実に見せつけられたゞけだつた、とにかく、事こゝに到つては万事休す、去る外ない。 けふはおわかれのへちまがぶらり 正さん(宿の次男坊)がいろいろと心配してくれる(彼も酒好きの酒飲みだから)、私の立場なり心持なりが多少解るのだ、荷造りして駅まで持つて来てくれた、五十銭玉一つを煙草代として無理に握らせる、私としても川棚で好意を持つたのは彼と真道さんだけ。 午後二時四十七分、川棚温泉よ、左様なら! 川棚温泉のよいところも、わるいところも味はつた、川棚の人間が『狡猾な田舎者』であることも知つた。山もよい、温泉もわるくないけれど、人間がいけない! 立つ鳥は跡を濁さないといふ、来た時よりも去る時がむつかしい(生れるよりも死ぬる方がむつかしいやうに)、幸にして、私は跡を濁さなかつたつもりだ、むしろ、来 た時の濁りを澄ませて去つたやうだ。 T惣代を通して、地代として、金壱円だけ妙青寺へ寄附した。 *** 下記の旅行記が参考になります。 旅行記 ・川棚温泉 〜 山頭火を歩く(10)− 山口県下関市 【注記】 (1)本レポートは、青空文庫の『行乞記』(二)(三)から、印象に残った箇所や文節を部分的に抜き出して転載させてもらって作成しました。 (2)『ゐ』は『い』に、保證人の『證』は『証』に書きかえてあります。よって、青空文庫の原文については、下記のサイトでご確認下さい。 ・種田山頭火 行乞記 (二) - 青空文庫 ・種田山頭火 行乞記 (三) - 青空文庫 |
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2014.05.14 | ||||
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