レポート | ・神舞(カンメ) |
− 神舞(カンメ) − |
500 年以上の歴史を持つ鹿児島県無形民俗文化財『湯之尾神舞』が11月23日、伊佐市菱刈川北の湯之尾神社でありました。鹿児島県と旧薩摩藩領の宮崎県西諸県(にしもろかた)郡地方では、神楽(かぐら)のことを『神舞』といいます。『かんまい』が訛って『カンメ』と読みます(1)。 神楽は、天岩戸(あまのいわと)にお隠れになった天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお導き出ししようと舞ったものに起源するといわれます。 天照大御神が天岩戸に引き籠ってしまわれると、国中が昼夜の区別もつかない暗闇となってしまいました。そこで、八百万(やそよろづ)の神たちが、天安河原(あまのやすかわら、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸神社がその地とされる)に集まり、どうしたものかと会議を開き、その祷(いの)るべき方法を相談するわけです。 神楽は、宮廷の御神楽(みかくら)と民間の里神楽(さとかぐら)に大別され、湯之尾神舞は里神楽に属し、肥後(熊本県)と日向(宮崎県)の両国にまたがる九州中央山岳地帯の高千穂を中心に伝承された神楽で、日向地方の影響を受けて伝わった、日向神楽の系統と言われています。 日向神楽で興味深いのは、福井県坂井市丸岡町の長畝(のうね)八幡神社で伝承されている『長畝日向神楽』(のうねひゅうがかぐら)が有名なことです。日向の地、延岡藩では第16代藩主有馬康済の頃(1670年)から神楽舞人をお抱えとしていましたが、越後糸魚川を経て元禄8(1695)年に丸岡藩(福井県北部にあった藩)に国替えになります(2)。 日向神楽は、その時、舞人とともに伝えられたといわれます。明治4年(1871年)廃藩とともに、神楽舞人の扶持は止められましたが、舞人の努力により継続され、現在は、長畝神楽保存会により伝承されています。岩戸神楽とも呼ばれる24番の演目が伝承され、毎年、長畝八幡神社の秋期祭礼に奉納されているそうです。 さて、旧薩摩藩領内における神舞は、明治以後急速に衰退し、現在は湯之尾神社以外では、鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市入来(いりき)町の大宮神社、志布志市有明町の伊崎田白鳥神社など、10余か所で伝承されています。 田んぼのあぜ道などに田の神の石像をたてて五穀豊穣を祈る独特の田の神文化が残る旧薩摩藩領内では、神舞の代表的な演目の一つである『田の神舞』(タノカンメ)が、神社のお田植祭や集落の田の神講(タノカンコ)のなかで単独に舞われるようになりました。 湯之尾神舞は、今年(2011年)は3年に一度の大祭の年にあたり、6歳から75歳の舞人、楽人総勢53人が、午後4時から夜半2時まで延々9時間かけて、今日まで伝承されている26番の演目すべてを披露しました。境内に大法幣柱(デホバシタ)を立て、上部に神座(かむくら)を設け、その基に祭壇と舞庭を作って神舞が上演されます。 夜半が過ぎ、23番の演目が終わる頃になると、天岩戸にお隠れになった天照大御神は、表座が騒がしいので、岩戸を細間に開けて表をご覧になります。そのとき、すかさず、手力男命(たぢからおのみこと)が大力で岩戸をこじ開けて、天照大御神がこの世にお出ましになります。 湯之尾神舞は、第24番から26番の演目である『手力』『戸隠』『大明神神楽』で、この岩戸開きの様子を舞って演舞は終わりとなります。初冬の夜、しめやかに厳粛に華やかに、そしてユーモラスに進められた薩摩地方の神楽でした。 下記の旅行記があります。 ■旅行記 ・湯之尾神舞 − 鹿児島県伊佐市菱刈 → http://washimo-web.jp/Trip/Yunoo/yunoo.htm 【参考にしたサイト】 (1) 神舞 - Yahoo!百科事典 → http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%A5%9E%E8%88%9E/ (2) 舞!組曲 <日本! 1.お神楽(1)…長畝日向神楽> → http://www.photoland-aris.com/myanmar/japan2/001/ |
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2011.11.30 | ||||
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