レポート  ・解体新書と小田野直武   
− 解体新書と小田野直武 −
ご承知の通り、『解体新書』(かいたいしんしょ)は、ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスの医学書のオランダ語訳『ターヘル・アナトミア』を江戸時代の日本で翻訳した書で、西洋語からの本格的な翻訳書として日本初のもの。杉田玄白、前野良沢、中川淳庵、桂川甫周による訳で、画は小田野直武。安永3年(1774年)に、須原屋市兵衛にって刊行されました。
 
江戸時代の蘭学医・杉田玄白らは、医学の基本であるはずのヒトのからだを実際に自分の目で確かめたいと熱望していました。しかし、当時ヒトを解剖するのは禁止されており、死刑になった罪人の検死(腑分け)だけがそれに近いものでした。
 
玄白らは、幕府に願い出て、小塚原の刑場において罪人の腑分けを見学しました。初めてヒトのからだの中身をみた玄白らは、書いてある言葉はわからなかったけれど、『ターヘル・アナトミア』の図版の正確さに驚嘆しショックを受けます。そこで、玄白は、これを翻訳しようと良沢に提案しました。
 
かねてから蘭書翻訳の志を抱いていた良沢はこれに賛同。淳庵らも加わって翻訳が始まりました。当初、玄白と淳庵はオランダ語を読めず、オランダ語の知識のある良沢も、翻訳を行うには不十分な語彙しかないでした。オランダ語の通詞は長崎にいるので質問することも難しく、当然ながら辞書もありませんでした。翻訳の困難さは『櫂や舵の無い船で大海に乗り出したよう』なものだったそうです。
 
『解体新書』の本文の翻訳がほぼ完成した安永3年(1774年)正月、杉田玄白宅を訪れた平賀源内は、玄白から『ターヘル・アナトミア』などの書から大量に図を写し取る画家を捜していることを知らされます。
 
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その前年の安永2年(1773年)7月、一獲千金を目論む幕府の支持もあって鉱山開発のため秋田を訪れていた平賀源内は、小田野直武(おだのなおたけ)と出会います。一説には、宿の屏風絵に感心した源内が作者である直武を呼んだといもいわれます。
 
小田野直武は、寛延2年(1750年)角館(かくのだて)生まれ。幼少より絵を好み、狩野派を学び、また浮世絵風の美人画も描きました。やがて絵の才能が認められ、佐竹北家の当主・佐竹義躬、秋田藩主・佐竹義敦(佐竹曙山)の知遇を受けました。
 
源内と出会った直武は、源内から西洋絵画の遠近法、陰影法などの技法を学び、秋田蘭画(あきたらんが)と呼ばれる一派を形成しました。秋田蘭画は西洋画の手法を取り入れた構図と純日本的な画材を使用した和洋折衷絵画で、安永年間(1772〜81年)に成立しましたが、後継者もなく天明年間(1781〜89年)には廃れました。しかし、その極端な遠近法は、後代の浮世絵にも大きな影響を与えたとされます。
 
玄白から解剖図の画家を捜していることを知らされた平賀源内は小田野直武を紹介しました。『解体新書』の図版の原画を描くことになった直武は、『解体新書』の開版まで半年という短期間に日本学術史上記録的な仕事を成し遂げました。しかも、江戸に出ての初めての仕事でした。それから5年後の安永8年(1779年)、直武は突然の遠慮謹慎を申し渡され、秋田へ帰郷。翌年急死、30歳でした。
 
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さて、『解体新書』を翻訳するうえで、杉田玄白が心配したのは『本を無事に出版できるかどうか』ということでした。当時の日本は鎖国中で、蘭学へのなじみが薄く、漢方医などから反発が起こる可能性が高かったからでした。
 
そこで、玄白は考えました。まず、出版の前年に、『解体新書』を抜粋したパンフレット『解体約図』を出しました。世間の反応を確かめるとともに、蘭学への反発を和らげるのが目的でした。反応は上々だったといわれます。また、翻訳にあたっては、キリスト教関連の記述を一切省くなど、表現を工夫しました。さらに、幕府への根回しも怠りませんでした。
 
翻訳者の一人、桂川甫周の父は将軍付きの幕府の医官でした。そこで玄白は、甫周の父を通じて、出来立ての『解体新書』を江戸城内の大奥に献上したのです。大奥に献上されたということは、幕府が暗黙に認めたということになり、奉行所から咎めを受ける心配がなくなったのでした。こうした玄白の用意周到な準備により、解体新書は世に出たのでした。
 
ところで、小田野直武が描いたあの有名な『解体新書』の扉絵(表紙)は、なぜか『ターヘル・アナトミア』のものではなく、スペイン生まれの医師で解剖学者であったワルエルダの著した『ワルエルダ解剖書』をモチーフにしたデザインとなっていますが、描かれているのはアダムとイブです。
 
この扉絵は、聖書を想起させる、非常に危険な図柄といえますが、用意周到で用心深かった玄白がこの扉絵をあえて掲載した理由には何かあったのでしょうか。それとも、単にキリスト教についての知識がなかったということでしょうか。
 
『解体新書』は国立国会図書館のデジタル化資料で閲覧できます。
http://www.ndl.go.jp/nichiran/data/R/042/042-001r.html
 
【参考にしたサイト】
(1)解体新書 − Wikipedia
(2)小田野直武 − Wikipedia
(3)杉田玄白「解体新書」出版に隠されたしたたかな計算
(4)大海を知った井の中の蛙・第14回 絵師を探せ
 

2013.06.10  
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