コラム  ・鹿児島なまり   
− 鹿児島なまり −
地元大学を卒業して約10年間神戸で働き、40代の終わりから数年間関西、北九州へ単身任した経験はあるものの、鹿児島生まれで鹿児島育ちである本HPの管理人は、なまりが抜けないままなのです。ただ、なまりといっても『おいどんは西郷でごあす』といったふうに鹿児島弁(薩摩弁)を使うというわけではありません。
 
もともと鹿児島弁は、外部から侵入するスパイ対策として使われ出したもので、古語、武家言葉、公家宮中言葉などが組み込んで作られたといわれます。たとえば、薩摩おごじょの『おごじょ』(女性、娘の意)は、人の妻または娘の尊敬語である古語の『御御前』(おご・おごう)から、『とぜんね』あるいは『とじんね』(寂しいの意)は、あの徒然草の『徒然』(つれづれ)からきているといわれます。
 
また、鹿児島では豆腐のことを『おかべ』といいます。これは、『御壁』の意味で、豆腐が土蔵の白壁のように白いことから室町時代に宮中の女官たちが使っていた隠語表現、すなわち女房詞(にょうぼうことば)そのものだといわれます。
 
さて、本メルマガの著者の場合、そうした方言独特の言葉を使うわけではなく、100%標準語を使うので、何をいっているのか分からないということは一切ないのですが、イントネーションやアクセントが標準的な話し方と違うのです。ですから、九州内を旅行すれば鹿児島からですかとよくいわれ、国内を旅行すれば九州はどちらからですかとよくたずねられます。
 
『鹿児島からです』と答えると、『ほぉ〜、鹿児島からですか、知覧に行きましたよ。指宿に新婚旅行で行きました。もうだいぶん前のことですが』などといった会話になります。遠いところからわざわざ来てもらって、と感じ入ってもらい、お茶こそ出ないものの、家の中から地図や資料を持ち出してきて、土地のことをあれこれ教えて下さるときもあります。
 
連れ合いと京都に行ったのは昨年(2008年)の9月のことでした。水路閣の南禅寺を見物した帰り、門前で拾ったのが黒塗りのタクシーでした。助手席側後部座席の天井部分が上方に開くようになっています。運転手さんに、このタクシーは花嫁タクシーですかと訊ねると、はいそうですといって、今度は『鹿児島からですか』とこちらが訊ねられます。はいと答えると『私は薩摩川内(さつませんだい)市の出身です』、『そうでしたか、私は薩摩川内市にある職場に通勤しているのですよ』という会話になります。
 
そのときの京都旅行は、一条戻橋(いちじょうもどりばし)を訪ねるのが目当ての一つでした。一条戻橋は、天正19年(1591年)、豊臣秀吉によって千利休の首級が晒されたことで知られていますが、本メルマガの著者が住む北薩摩地方を治めていた島津歳久(関ヶ原の敵陣突撃で知られる島津義弘の弟)の首級も、翌年1592年に秀吉によってこの橋に晒されたのです。
 
そういうことで一条戻橋が念頭にあったので、とっさに『花嫁さんを乗せて戻橋の付近など通るわけには行きませんね』というと、『そうなんです。私は京都に来てこの仕事を始めて20数年になりますが、細部まで地理が分からないことには仕事ができません』とおっしゃいます。例えば、花嫁を乗せて一方通行の路地に進入したもんなら、縁起でもない、バックするわけにも行かず大変なことになるというのです。なるほど、なるほどと会話が弾みました。
 
このかた、標準的なイントネーションやアクセントでしゃべれたらその方が良かったのですが、以上の様な利点もあります。この歳になって直すにも直し様がありませんから、これからも『鹿児島からですか』『九州はどちらからですか』と訊ねられながら旅をすることになります。

 

2009.11.11  
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