レポート | ・鹿児島と山形 |
− 鹿児島と山形 − |
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九州の南端に位置する鹿児島と東北の山形とは、直線距離にして 1,100km以上離れていて一見何の関わりもなさそうですが、実はいくつかの結びつきがあります。 (1)山形屋 鹿児島市に本店を置く百貨店『山形屋』(やまかたや)は、宝暦元年(1751年)創業の老舗百貨店です。山形県庄内地方の紅花商人だった初代・源衛門翁は、当時、商人の誘致策を展開していた薩摩藩に招へいされて鹿児島に移住し、鹿児島城下で唯一の呉服商を開業しました。それが現在の本店店舗の前身といわれます。濁音は商売繁盛に相応しくないというので、屋号は『やまかたや』と発音しています。 山形屋が百貨店化したのは明治時代中頃といわれます。日本全国各地で呉服店などを前身に持つ百貨店の開店がみられたのは明治末から大正にかけてでしたから、山形屋は、神戸以西初のデパートであり、3大老舗の三越・高島屋・大丸などと肩を並べる程の伝統を持つわけです(1)。 庄内地方の紅花商に起源を持つ山形屋は、今日も買い物客で賑わっています。 ・鹿児島の老舗百貨店『山形屋』 → http://washimo-web.jp/Trip/Mkuniko/kuni27.jpg ・山形屋前の電車通り → http://washimo-web.jp/Trip/Mkuniko/kuni28.jpg (2)新庄の雪 山形県新庄市は、山形県でも北部の雪深い地域です。本メルマガの著者の住む鹿児島県さつま町では、毎年2月の第一日曜日に恒例の初市が開かれますが、その初市の会場に新庄市から雪のプレゼントが運ばれてくるのです。 ”鹿児島の子どもたちにかまくらを見せたい。” 新庄市のNPO法人『AMP』の人たちが大型トラックの保冷コンテナ(3m×3m×5m)に雪を満載し、約 1800kmの道のりを2日がかりで運び、初市の出し物としてかまくらを作ってくれます。 かまくらはおろか、本格的な雪さえ見たこともない南国の子供たちは大喜びです。 ・南国に出現したかまくらと初市 → http://washimo-web.jp/Information/hatuichi2009.jpg トラックの帰り便には今度は、さつま町の特産の孟宗竹で作った灯ろう『竹ホタル』が積み込まれます。地元小学校の児童たちが、前年11月に町内の温泉街の竹灯籠まつりで灯された 7,000本のうちの 900本を『雪まつりで役立ててください』とお礼を込めて、新庄小学校の児童たちに贈るのです。 さつま町と新庄市の交流は、AMPが企画した『100円商店街』 で交流する全国34都市の一つに、さつま町が参加したのがきっかけで始まりました。 (3)桃齢院(貢姫) その新庄藩の十代藩主戸沢正令(まさよし)の正室として島津家から嫁いだのが桃齢院(とうれいいん)でした。父・島津重豪(しまづしげひで)は、薩摩藩第8代藩主で、斉彬の曽祖父にあたります。桃齢院は、重豪76歳のときの子で、2008年 NHK大河ドラマの主人公・篤姫の大叔母にあたり、篤姫より18歳年上でした。 新庄藩は、戊辰戦争で当初、幕府軍を支持する奥羽(越)列藩同盟に加盟していましたが、のちに急遽政府軍にくみすることになります。その背景には、桃齢院の実家・島津家との関わりがあったのではないかとも推察されます。戊辰戦争で新庄は、一時期、幕府方の庄内藩に占領され、藩主や桃齢院は秋田に逃げ延びましたが、間もなく政府軍の勝利となり、新庄に戻ることができました。 戦後処理において、新庄藩は幕府軍に寝返った賊軍とみなされましたが、後に薩摩藩士・大山格之助などを通じ誤解を解きました。これも、桃齢院の尽力によるものではなかったかと思われています。輿入れの際持参した島津家家紋入りの雛人形と雛道具が新庄歴史センターに現存しており、毎年雛節句の折に展示されるそうです(1)。 (4)南洲翁遺訓、南洲神社、兄弟都市 戊辰戦争で新政府軍に執拗に抵抗した庄内藩(現在の鶴岡市、酒田市)でしたが、戦後処理において西郷隆盛が下した処置は温情ある極めて寛大ものでした。西郷に対する感謝の念と、西郷の思想に強く共鳴するものがあった旧庄内藩主・酒井忠篤は、明治3年(1870年)旧藩士78名を従えて鹿児島に入り、西郷に学びました。 明治22年(1889年)、西郷が大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって赦されると、旧庄内藩士らによって西郷の教えがまとめられ、翌年に『南洲翁遺訓』として発刊されました。旧庄内藩士らは、本を背負い、全国に配り歩き、その伝導者となったと言われています。その気概は、今も庄内の地で引き継がれています。 昭和51年(1976年)、酒田市に西郷隆盛を祀る南洲神社が創建され、また、昭和44年(1969年)には、鹿児島市と鶴岡市の間に兄弟都市の締結がなされ、親善使節団の相互訪問、兄弟校の提携、中学生親善使節団の相互派遣、青年国内研修生の交流などが行われています。 【参考サイト】 (1)新庄藩十代藩主 戸沢正令正室「桃齢院」 - 新庄市 → http://www.city.shinjo.yamagata.jp/2939.html |
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2010.06.30 | ||||
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