レポート  ・石井十次と大原孫三郎と児島虎次郎   
− 石井十次と大原孫三郎と児島虎次郎 −
『福祉』という言葉さえ定着していなかった明治20年(1887年)に、巡礼途中で夫に先立たれた母親から8歳の男児を引き取ったのをきっかけに、日本で初めての孤児院を創設し、『児童福祉の父』と称された石井十次。
 
倉敷紡績をはじめ、中国合同銀行(中国銀行の前身)、中国水力電気会社(中国電力の前身)などの社長を務め、大原財閥を築き上げ、社会、文化事業にも熱心に取り組んだ実業家、大原孫三郎。そして、大原美術館のコレクションの収集者として知られる洋画家の児島虎次郎。
 
それら先人のそれぞれの生き方もさることながら、三人の出会いとその後の友情関係に熱いものを感じずにはいられません。
 
米穀・棉問屋として財をなし、小作地800町歩(約800ha)を有する倉敷一の富豪であった大原家の三男として生まれた孫三郎は、二人の兄が夭折していたため跡継ぎでしたが、遅くに生まれ身体が弱いこともあってわがまま放題に育てられました。
 
明治30年(1897年)、紡績会社の二代目として将来を嘱望されながら東京専門学校(後の早稲田大学)に入学しますが、講義にはほとんど顔を出さないばかりか、放蕩生活の限りを尽くし、挙句の果てに現在の金額で1億円もの借金を抱える始末でした。明治34年(1901年)、父親より東京専門学校を中退のうえ倉敷に連れ戻され、謹慎処分を受けます。
 
そんな折、決定的な転機となったのが石井十次との出会いでした。石井は、孤児救済に生涯を捧げることを決意して岡山高等学校医学部を中退、濃尾地震で被災した孤児を集めて岡山孤児院を創設していました。
 
その石井の講演を聞いて孫三郎は激しい感動に包まれ、以後石井の事業を全面的に支えることになります。石井は、その友情関係について、『君と僕とは炭素と酸素、あえばいつでも焔(ほのお)となる』と表現したそうです。
 
石井十次は、孤児たちの自立のため理想的農村共同体の実現を目指し、故郷の宮崎県茶臼原(ちゃうすばる)に孤児・職員もろとも移住させて、大農場の開拓を始めます。孤児25人の開墾で始まった茶臼原の開拓は、田13町歩余、畑46町歩余、桑畑16町歩余の開墾に成功しますが、大正3年(1914年)に志半ばで石井が48歳の若さで死去すると、大原は、茶臼原の石井の墓地の隣りに別荘を建てて石井を偲び、その遺志を引き継ぎます。その別荘は、現在、宮崎県木城町の『石井記念友愛社』内に移築されて、『大原館』として保管されています。
 
倉敷紡績に入社した大原孫三郎は、工員が初等教育すら受けていないことに驚き、職工教育部を設立し、明治35年(1902年)には工場内に尋常小学校を設立。さらに、学びたくても資金がない地元の子弟のために大原奨学会を開設します。東京美術学校入学後、大原奨学会の奨学生となったのが、大原より一歳年下だった児島虎次郎でした。
 
児島は、4年課程を2年で卒業するという非常なまじめな学生だったそうです。大原孫三郎の紹介で、石井十次の『岡山孤児院』に泊り込んで描いた絵『情けの庭』が、東京府主催勧業博覧会美術展で一等賞を取り、おまけに、皇后陛下の目にとまり、宮内庁お買い上げとなりました。
 
大原は大喜びし、児島に5年間のヨーロッパ留学をプレゼントします。その後児島は、日本の若い絵描きのために絵画の蒐集を孫三郎に頼みます。孫三郎は迷った末に許可を与え、モネ、エル・グレコ、ミレー等、世界の名画が次々に収集されました。児島虎次郎が47歳でなくなると、大原孫三郎は翌年の昭和5年(1930年に)、児島の絵と児島が収集した名画を保存展示するため美術館、大原美術館を建設しました。
 
児島虎次郎の実直な人柄に惚れた石井十次は、長女友子を嫁にやります。大原孫三郎夫妻を媒酌人に結婚式がとり行われた翌年、友子の男児出産の電報が届いた日に石井十次は死去しました。
 
大原孫三郎が遺志を継いだ岡山孤児院、茶臼原孤児院も大正15年(1926年)に、活動を終了しますが、昭和20年(1945年)、児島虎次郎の息子(石井十次の孫)の號一郎氏が、太平洋戦争の被災孤児救済を目的に石井記念友愛社として茶臼原孤児院の活動を再開させました。現在は、孫(石井十次のひ孫)の児島草次郎氏が理事長を務める社会福祉法人『石井記念友愛社』によって、児童擁護施設や保育園が運営され、石井十次の精神が受け継がれています。(文中敬称略)
 

【参考にしたサイト】
[1]石井十次、大原孫三郎、児島虎次郎 : ウィキペディア
[2]大原孫三郎:目次−先駆者たちの大地
[3]大原美術館と児島虎次郎という人
[4]石井十次物語 郷里茶臼原へ
[5]
宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
[6]
大原孫三郎 先駆者たちの大地 IRマガジン NET-IR
[7]
香寺大好きへようこそ
[8]
石井十次 : みやざきの101人
  

【備考】
下記の旅行記があります。
■旅行記 ・石井記念友愛社 − 宮崎県木城町・西都市
     → http://washimo-web.jp/Trip/Ishiikinenkan/ishiikinenkan.htm
 

2008.11.12 
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