レポート | ・『故郷の廃家』と硫黄島 |
− 『故郷の廃家』と硫黄島 −
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著者の住む鹿児島県北部から車で1時間ちょっと走ると、熊本県人吉市に着きます。人吉は、九州の小京都とも呼ばれる静かな町です。その人吉市内の閑静な住宅街の一角に、犬童球渓(きゅうけい)の生家が今も残っています。 犬童球渓(本名、信蔵)は、明治12年(1879年)、農家の次男として生まれました。当初は、家業を継ぐつもりで父と農業に従事していましたが、教職に就いていた兄の勧めで熊本師範学校に入学、さらに東京音楽学校(現東京芸術大学)に進みます。 苦学の末卒業し、最初に赴任したのが兵庫県の柏原中学校(現柏原高校)でした。ところが、時は軍国主義時代、音楽などは男子のやるべきものではないと生徒たちの授業妨害にあい、心身を病んで、わずか8ヶ月で転出しました。 その後転任した新潟高等女学校(現新潟中央高校)で、遠い故郷を想って訳詞を書いたのが、あの名曲『旅愁』『故郷の廃家』でした。生涯の大半は教職にありましたが、生涯に 360余編の作詞・作曲を手がけ、昭和18年(1943年)、65歳で亡くなりました。 『故郷の廃家』は、アメリカ・ケンタッキー州出身の作曲家ウィリアム=ヘイス作曲の原題が『My dear old Sunny Home』(我が愛しい、古いが陽のあたる家)という曲に訳詞をつけたものです。 『故郷の廃家』 作詞/犬童球渓 作曲/ヘイス (1) 幾年(いくとせ)故郷(ふるさと) 来てみれば 咲く花 鳴く鳥 そよぐ風 門辺(かどべ)の 小川の ささやきも なれにし昔に変らねど 荒れたる我家(わがいえ)に 住む人絶えてなく (2) 昔を語(かた)るか そよぐ風 昔をうつすか 澄(す)める水 朝夕かたみに 手をとりて 遊びし友人(ともびと) いまいずこ さびしき故郷や さびしき我が家(わがいえ)や この曲についてネット検索していると、思いもしなかったエピソードにたどり着きました。硫黄島と結びついたのです。 硫黄島といえば、2006年のアメリカ映画『硫黄島からの手紙』が話題になりました。東京の南約 1,080 km、東京とグアムのちょうど中間の太平洋上に浮かぶ東西8km、南北4kmの火山島です。 太平洋戦争末期の1945年2月にアメリカ海兵隊が上陸し、1ヶ月間の戦闘で日本の戦死者20,129名、戦傷者1,020名、アメリカの戦死者6,821名、戦傷者21,865名を出す大激戦が繰り広げられた島です。硫黄島には、各地から集められた10代半ばの少年兵たちも配属されていました。 ご祖父母さまが戦前、硫黄島にお住まいで、お母さまが硫黄島生まれだとおっしゃる神奈川県の joe_and_mick さんは、『OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)』というブログを開設され、小笠原村発行パンフレット『硫黄島』に記載されている『故郷の廃家』にまつわるエピソードを紹介されています。『故郷の廃家』には、次のような話が伝えられているそうです。 〜 硫黄島での戦闘が激化するなか、避難していた少年兵たちが、壕から顔を出すと、真っ赤な夕日が顔を染め、その夕日に故郷の両親を思い合わせ、この歌をひとりが歌い、ふたりが歌いするうちに、大勢の合唱となり、それを陰で聞いていた市丸少将が、十五〜十六歳のこの子らを道連れにするしのびがたさに涙を浮かべた。 〜 また、横浜市の石井顕勇さんも、『硫黄島探訪』というご自分のサイトで、『故郷の廃家』にまつわるこのエピソードを紹介されていて、『故郷の廃家』のメロディーを聴くことができます。 → http://www.iwojima.jp/sunnyh.html 結局、大部分の少年兵が帰郷の夢が叶うことはありませんでした。『故郷の廃家』は、今では歌われなくなった歌ですが、硫黄島では慰霊祭などの際に全員で合唱して献歌されるそうです。 【備考】 ・joe_and_mick さんのブログ『OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)』の アドレスは、 → http://blog.goo.ne.jp/joe_and_mick/ ・石井顕勇さんのサイト『硫黄島探訪』のトップページアドレスは、 → http://www.iwojima.jp/index.html ・犬童球渓について、下記の旅行記があります。 ■旅行記 ・犬童球渓の生家を訪ねて − 熊本県人吉市 → http://washimo-web.jp/Trip/Inudou/inudou.htm 〔補遺〕 joe_and_mick さんに、上記エピソードの記事転載のご承諾をお願いしたところ、快くご承諾頂き、つぎのようなお話しを頂きました。 〜 今年(2007年)の9月に川崎で開催されました、『旧島民の集い』でも、出席者のテーブルの上に『故郷の廃家』を含む曲の歌詞印刷が置いてあって、会の終わり近くに皆で合唱いたしました。 小学生と中学生の子供を連れて行っておりましたが、私より年配の戦後生まれの方が、子供たちに『この曲は音楽の教科書に載っていて学校で習ったけれど、今は、習わないのかしら。』とおっしゃっていました。うちの子供どころか、私が小学校の時にも習いませんでした。 来年の6月の硫黄島平和祈念公園での慰霊祭でも、来年の9月の川崎での『硫黄島島民の集い』でも、この『故郷の廃家』を私たちは、必ず、また歌うと思います。それまでに、堂々と大きな声で歌えるように、練習をしておきたいと思います。 〜 【参考にしたサイト】 [1]犬童球渓:フリー百科事典『ウィキペディア』 [2]硫黄島 (東京都):フリー百科事典『ウィキペディア』 [3]犬童球渓 → http://www.eonet.ne.jp/~zarigani/kilp/kilp3.htm [4]犬童球渓 - 人吉市 |
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2007.11.14 | ||||
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