レポート  ・百匹目の猿現象   
− 百匹目の猿現象 −
天然記念物“幸島サル”の生息地として知られる幸島(こうじま)は、宮崎市から車で南へ 90〜100分。宮崎県南端部に位置する串間市市木(いちき)地区にあります。石波海岸と幅 100〜200mほどの狭い海峡を挟んで日向灘に面する周囲 3.5kmほどの小さな無人島です。
 
幸島を目前にした石波海岸ですぐ目に入るのがビロー樹とその隣りに建てられている『百匹目の猿現象発祥の地』と彫られた石碑です。
 
京都大学霊長類研究グループによる幸島のサルの調査・研究が始まったのは1948年のことでした。1952年には世界で初めて野生猿の餌付けに成功し、翌1953年に一匹のメスの子ザルが砂浜に湧き出ている浅い水の流れで芋洗いをするという画期的な行動が発見されます。
 
芋洗いが泥を落すのにたいへん都合が良く、もっとも衛生的な方法だということがだんだん分かってくると、この方法は少しずつ群れの中に広まって行きました。すると、芋洗いをするサルの数がある閾値(しきいち)、例えば 100匹を超えたある日、突然不可思議な出来事が起こったのです。
 
それまで長期間かけて少しずつ広まっていった芋洗い行動が、この閾値を超えた途端、幸島の群れ全体に一瞬に広まり、しかも驚くべきことに、幸島から 200km以上も離れた大分県の高崎山の猿の群れでも、突如芋洗いをする行動が見られるようになったというのです。
 
この『百匹目の猿現象』は、イギリスの生物学者ライアル・ワトソンが1979年の著書『生命潮流』(Lifetide)のなかで最初に紹介した逸話で、1981年に出版された神秘主義者ケン・キース・ジュニアの世界的ベストセラー『百番目のサル』(Hundredth Monkey)によって世界中に広まりました。
 
これが日本では、経営コンサルタント船井幸雄の1996年の著書『百匹目の猿―思いが世界を変える』で紹介され、『ある行動、考えなどが、ある一定数を超えると、これが接触のない同類の仲間にも伝播する』という現象が人間にも存在するのではないかということで、ニューエイジ(New Age) 関係で有名になりました[1][2]
 
しかし、この逸話は創作されたものでした。高崎山の猿への伝播の事実が観測されていないことはもちろん幸島の群全体に伝播したという事実も観測されていませんでした。ライアル・ワトソンは河合雅雄(モンキー博士として知られるサル学の世界的権威)の論文によるものとしていますが、この論文にはワトソンが述べたようなことは記述されていません。
 
全くの創作であることをライアル・ワトソン自身も認めており、もとになった河合の論文の該当部分は、『幸島でニホンザルの行動観察を行なっていたら、芋を海水で洗って食べる事を覚えた個体が出現し、長期間おこなっていたために、群れの中でそれを真似するものが数頭現れた。』という程度のものでした[2]。(文中敬称略)
 
下記の旅行記が参考になります。
   旅行記 ・幸島を訪ねて − 宮崎県串間市  
 
【参考にしたサイト】
[1] 百匹目の猿 − 超常現象の謎解き
[2] 百匹目の猿現象 − Wikipedia
 

2012.11.05 
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