コラム  ・俳句鑑賞『星月夜』   
− 俳句鑑賞『星月夜』 −
古書に『闇に星の多く明るきをいふなり。月のことにはあらず』とあるそうです。星月夜とは、まるで月夜のように星々が輝いている夜のこと。合本俳句歳時記(角川書店)には、『よく晴れた秋の夜は空が澄むので満天に輝きみちた星で月夜のように明るく美しい。その趣を星月夜という。』とあります。
 
  いくたびも仔狐の来る星月夜 山田みづえ
 
山田みづえ(1926年〜2013年)。日本の俳人。宮城県仙台市生まれ。国語学者・山田孝雄の次女。宇治山田高等女学校(現・三重県立宇治山田高等学校)卒。1957年、石田波郷に師事。俳誌「鶴」を経て、1979年に「木語」を創刊、主宰
 
  次の間に牛の覚めゐる星月夜 伊藤白潮
 
伊藤白潮(1926年〜2008年)。俳人。千葉県横芝町(現・横芝光町)生まれ。千葉大学教育学部卒。1948年田中午次郎に師事。50年『鴫』同人。75年『鴫』を復刊し、主宰となる。俳人協会評議員、市川市俳句協会会長。
 
  人生の重きときあり星月夜 稲畑汀子
 
稲畑汀子(いなはた ていこ、1931年〜 )・神奈川県出身の俳人。高浜年尾の娘で高浜虚子の孫。「ホトトギス」主宰を経て現名誉主宰、日本伝統俳句協会会長。小学校のころから祖父高濱虚子と父年尾のもとで俳句を教わった。英語専攻科中退後、俳句修行に専念し、祖父と父に同行して全国を廻る。1956年、24歳で稲畑順三と結婚、のち二男一女の母となる。
 
  星月夜夫といふ名の酔つ払ひ 仙田洋子
 
仙田洋子(1962年〜)。東京都出身の俳人。東京大学教養学部卒。大学在学中の1982年に石原八束の「秋」に入会。また東大学生俳句会に参加。1990年、有馬朗人の「天為」創刊に参加。「秋」「天為」同人。「百年は生きよみどりご春の月」など、叙情性の濃い句風。2012年より俳句四季大賞選考委員。
 
  星月夜家居の夫を窓から見る 池田澄子
 
池田澄子(1936年〜)。俳人。生活の周辺をややアイロニカルに眺めた口語(ないし口語的な)俳句を得意としている。代表句に「じゃんけんで負けて螢に生まれたの」など。角川俳句賞選考委員を務める。
 
  父の靴全てを並べ星月夜 櫂未知子
 
櫂未知子(かいみちこ、1960〜)。俳人。北海道余市郡出身。当初は短歌を学んだがのちに俳句に転向、口語表現を生かしつつ、男女の性愛や強さとエレガンスを持つ女性像を描き出した作品で知られる。代表句に「シャワー浴ぶくちびる汚れたる昼は」「春は曙そろそろ帰つてくれないか」「佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり」「雪まみれにもなる笑つてくれるなら」などがある。「群青」共同代表、「銀化」同人。俳人協会理事。
 
  殉教の島に旅寝の星月夜 上村占魚
 
上村 占魚(うえむら せんぎょ、1920年〜1996年)。俳人、随筆家。熊本県人吉市生まれ。東京美術学校卒。『ホトトギス』同人。松本たかしに師事。『みそさざい』主宰。十五歳の頃から句作を始める。後藤是山に俳句を学び、号の「占魚」は後藤是山が人吉の鮎にちなんで命名した。
 
  カジノ裏とびきりの星月夜かな 細谷喨々
 
一読ラスベガスかなと思うが、ウィーンでの作句だそうだ。ウィーンのカジノの裏手の『とびきりの星月夜』。本名・細谷亮太(1948年〜)。日本の小児科医、文筆家。山形県生まれ。
 
専門は小児がん、小児のターミナルケア、育児学。細谷喨々の俳号を持ち石川桂郎に師事した俳人でもある。小児がんの専門医として、日々の「心のゆらぎ」を名句に託して書きとめたエッセイ集『生きるために、一句』(2010.10 、講談社)がある。
 
  逢ふと云ふこともなきまゝ星月夜 久保田 洋子
  あなたには素直になれる星月夜  柿内芳子
  子別れの北狐啼く星月夜     東 天紅
 

2017.11.14
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