コラム | ・葛飾北斎と河童の屁 |
− 葛飾北斎と河童の屁 −
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『屁(へ)の河童』というたとえがあります。河童はいつも水の中にいるため、屁をしてもあまり勢いがないことから、『取るに足りないこと』を『河童の屁』にたとえるようになり、後に語順が現在のように入れ替わりました。 世界的に有名な江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい、1760〜1849年)は、例えば、借金するとき、借用書に自分が深々と頭を下げているイラストを描いて、北斎をもじって『ヘクサイ(屁臭い)』と署名するなど、天真爛漫で奇行に富み、清貧に生きた人でもありました。そして、知る人ぞ知る川柳の大家でもありました。 渋温泉そして地獄谷野猿公苑へ行くのに乗ったのが、長野電鉄の特急電車『スノーモンキー』でした。長野駅 〜 湯田中の間、33.2kmを44分で走ります。長野電鉄では、電車が長野駅と湯田中駅に着くとき、『終点』ではなく『終着駅』とアナウンスし、思わずジーンと旅情を掻き立てられました。 また、スノーモンキーの車内では、『まもなく小布施(おぶせ)、栗と北斎の町・小布施に到着致します』などと、電車が駅の直前に近づくと、その駅周辺の名所や名物などを紹介しながらアナウンスします。 北斎が、晩年に長く逗留したのが長野県上高井郡の小布施でした。江戸で知り合った小布施の文人・高井鴻山(たかいこうざん)に招かれた北斎は84歳から88歳の4年間小布施に滞在し『怒涛図』などを描いています。 北斎は、小布施からそう遠くない渋温泉にも湯治に訪れたとされ、渋温泉には北斎の川柳を刻んだ 187本の御影石の句碑が建てられています。その一つに河童の屁の句があります。 誰が嗅で見て譬たか河童の屁 北斎 河童の屁を誰が嗅(か)いでみて『取るに足りないこと』に譬(たと)えたのかというユーモアです。ほかの川柳もなかなか面白いです。
【参考ページ】 旅行記 ・渋温泉 − 長野県下高井郡山ノ内町 |
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2015.01.28 | ||||
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