コラム  ・鎌倉、大銀杏のひこばえ   
− 鎌倉、大銀杏のひこばえ −
春の季語に、『ひこばえ』という言葉があります。漢字では、蘖と書きます。切り倒された木の株や根から再生してくる新芽のことで、その新芽を孫に見た立てて『孫生(ひこばえ)』とも書かれます。俳句独特の言葉ではなく一般にも使われ、めでたいことから、施設やサークル、会などの名称としてよく使われています。
 
神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮の本宮へ上がる大石段横に植わっていた幹回り 6.8m、高さ約30mもある大銀杏は、樹齢 800年とも1000年余ともいわれ、同八幡宮のシンボル的存在でしたが、今年(2010年) 3月10日未明、折からの強風の影響を受けて倒壊してしまいました。
 
この大銀杏は、鎌倉幕府三代将軍、源実朝の暗殺の舞台となった場所で、実朝を暗殺した公暁(くぎょう)が、この木の陰にかくれていたという伝説から『隠れ銀杏』とも呼ばれ、親しまれてきました。
 
鎌倉幕府を開いた源頼朝が急死すると、嫡男の頼家が18歳の若さで二代将軍として家督を継ぎますが、母方の北条氏を中心とした勢力に将軍職を剥奪され、伊豆国の修禅寺に幽閉のうえ北条氏の刺客によって暗殺されます。頼家に代わって将軍職についたのが頼家の弟の実朝でした。その実朝を暗殺した公暁は、頼家の次男だったのです。
 
幼名を善哉。12歳で出家して公暁の法名を受け上洛。三井寺で修行したのち鶴岡八幡宮別当として鎌倉に戻ってきます。実朝が右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣の際、『親の敵はかく討つぞ』と叫んでその首を打ち落とすものの、自身も直後に討ち取られ、『東国の大将軍』となる野望はかないませんでした。ここに源氏の正統は断絶。実朝享年28、公暁享年20。背後に、北条氏、三浦氏の策謀があったのはないかとも推測されています。
 
そうした歴史の生き証人であっただけに、大銀杏を惜しむ声が全国から寄せられる中で、再生への取り組みが始まりました。大銀杏の残された根元部分が高さ4mのところから切断され、7m下の方へ移植されました。再生を願って境内に設置した記帳所には、たくさんの人たちが訪れたそうです。
 
    ひこばえのロマンを繋ぐ大銀杏  ワシモ
 
皆さんの願いが届いたのでしょうか。4月1日、根元部分の周囲に数十個の青い新芽が生え出しているのが確認され、歴史のロマンが繋がることになりました。ひこばえの成長を見守りたいものです。下記の旅行記で大銀杏の様子が見れます。
 
旅行記 ・鶴岡八幡宮の大銀杏と牡丹 − 神奈川県鎌倉市
 

2010.04.21 
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