コラム | ・節分 〜 柊と鰯 |
− 節分 〜 柊と鰯 −
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きょう2月3日は節分。薩摩地方でも吹く風は冷たいものの、全国的に晴れの一日となって、穏やかな中で豆まきなどの節分行事が行われていることでしょう。今夜のお父さんは、鬼の面のおまけが付いた福豆を勤め帰りに買い求め、帰宅すれば早速鬼役を演じて盛り上げる、というふうでしょうか。 節分とは『季節を分ける』ことを意味していて、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことをいいます。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていて、それを追い払うための悪霊ばらいが今日行われている節分行事です。 鬼を邪気に見立ててそれを追い払うわけですから、元来は家長たる父親あるいは年男が豆をまき、鬼を追い払うものでした。そして、当然『福は内、鬼は外』といいながらまくわけです。 ところが、南北朝時代から江戸末期に紀伊や志摩国一円で活躍した九鬼氏(くきし)の領地では、領主に敬意を表して『鬼は内』といい、丹羽(にわ)氏が藩主だった旧二本松藩(現在の福島県二本松市内に存在した藩)の領内の一部では『おにわそと』が転じて『お丹羽、外』となるため、『鬼、外』といいながらまくそうですから面白いです。 まく豆は必ず炒(い)り豆でなければなりません。節分にまく豆は、旧年の厄災を背負って払い捨てられるものですから、もし生豆を撒いてそれから芽が出るようなことがあっては不都合なわけです。 『渡辺さんは豆まきをしなくてもよい』そうです。平安時代、酒が好きだったことから手下たちからそう呼ばれていた鬼の頭領・酒呑童子(しゅてんどうじ)は、大江山(京都府)を拠点に数多くの鬼を従え、都を荒らし回っていました。その酒呑童子を仕留めたのが、渡辺綱(わたなべのつな)という武将でした。 渡辺綱は、摂津源氏の源頼光に仕え、頼光四天王の筆頭として剛勇で知られ、京都一条戻橋の上で鬼の腕を源氏の名刀『髭切りの太刀』で切り落とたことでも有名。つまり、鬼は渡辺という姓が怖くて怖くて仕方ないのです。よって、渡辺さんは本来豆まきをしないでいいのだそうです。 さて、豆をまいて鬼を追いやる一方、節分当日の夕暮れには、柊(ひいらぎ)の枝に鰯の頭を刺した『柊鰯(ひいらぎいわし)』を戸口に立てて、邪気除けを行う風習も引き継がれています。柊の葉の棘(とげ)と、鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らないように魔除けをするわけです。 平安時代には、正月の門口に飾った注連縄(しめなわ)に、柊の枝とボラの頭を刺していたことを、土佐日記で確認できるそうです。また、奈良県吉野町では、『一本だたら』(和歌山県熊野の山中などに棲む、一つ目で一本足の姿の妖怪)を防ぐため、節分の日にトゲのある小枝に焼いた鰯の頭を刺して玄関に掲げるそうです。 著者の自宅には、玄関のすぐ前に大きな柊の木が植わっています。せっかく植わっているから、節分の夜は鰯を焼いて食べます。今年の鰯は『国産原料、まるまる太った殿様いわし 丸干』とあります。美味しそうです。
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2016.02.03 | ||||
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