コラム  ・火鉢(ひばち)   
− 火鉢(ひばち) −
12月も中旬になり、まさしく『もういくつ寝るとお正月〜♪』というタイミングになりました。著者が小学校の頃、昭和30年代(1955年代)の正月は、親戚縁者が本家に集まって賑やかに行われたものです。
 
床の間とそれに続く畳間との間の襖(ふすま)をはずし、ニ間続きの広間にしてお正月の宴会が開かれました。座布団を敷き、一人一人に、雑煮と地鶏のぶつ切りの入った煮付け、鯨おば(さらし鯨)、それに混ぜご飯が添えられた膳が運ばれます。
 
家長の挨拶があって、お料理を頂くわけですが、温風ヒーターや石油ストーブなどのない時代でしたから、暖(だん)はもっぱら火鉢(ひばち)で取っていました。膳の横に火鉢が並べられている光景が目に浮かびます。
 
   百畳の写経に火鉢なかりけり  福井重子
   手焙りを許されよ薬師如来様  村上冬燕
   足袋あぶる能登の七尾の駅火鉢 細見綾子
 
火鉢は、俳句では、当然冬の季語です。火桶、手焙(あぶり)、手炉(しゅろ)などとも言います。形状により長火鉢、角火鉢、六角火鉢、丸火鉢などの種類があり、材質は陶器や木製、金属製のものが多かったですが、珍しい石製のものもありました。
 
大きさも数人がかりで動かす大名火鉢から、手あぶりと呼称される小形火鉢まで様々あり、手さげ火鉢もあったそうです。置炉としての火鉢は奈良時代に登場したそうですが、薪のように煙が出ないことから上流の武家や公家に使用されていたものが、江戸時代から明治にかけて庶民にも普及しました。
 
一部はインテリアとして発達し、彫金を施された唐金(金属)製の火鉢や、鮮やかな彩色をされた陶器製の火鉢が作られたました。昭和初期までは暖房用とともに半炊事用を兼ねるような道具でもありました。
 
戦前は駅の待合室にさえ見られたそうですが、木炭は着火に手間がかかる上、一酸化炭素中毒や火災の危険があるため戦後は、ストーブの普及につれ次第に消えていき、電熱・ガス・石油などを利用した暖房器具が一般化された現在では、ほとんど見られなくなりました。(参考:Wikipedia)
   
わが家の納屋に仕舞ってあった火鉢を取り出してみました(写真)。昭和30年代まで使われていた火鉢です。
 
昭和30年代まで使われていた火鉢(2016.12.14撮影)

2016.12.16
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