レポート | ・般若心経 |
− 般若心経 − |
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般若心経(はんにゃしんぎょう)は、わずか 276文字の本文に、空(くう)や般若思想の心髄が説かれているとされる経典で、一部の宗派を除き、僧侶・在家を問わず、真言宗、天台宗、浄土宗、臨済宗、曹洞宗、修験道などの読誦経典の1つとして、永く依用されている経典で、『舎利子よ』と、シャカが弟子に語りかける形式をとっています。 一般の人々にも親しまれてきた経典で、空を説くというより、むしろ、霊験あらたかな真言(呪文的な語句)として受け止められてき、江戸時代には、文字を読めない層のために、内容を絵に表した絵心経も制作されたようです。現在では、写経されたり、手拭いなどに印刷されるなどして親しまれています。 般若(はんにゃ)とは、サンスクリット語のプラジュニャー、パーリ語のパンニャーの音写であり、人間が真実の生命に目覚めた時にあらわれる、根源的な叡智のことを意味します。(以上、フリー百科事典ウィキペディア、および goo 辞書を参考)
観音菩薩(かんのんぼさつ)は、究極最高の知恵の完成(般若波羅蜜多)の修行をし、五蘊(ごうん)、すなわち諸存在を構成する物質的・精神的五つの要素である、色(しき)(肉体を含めた物質的存在)・受(事物を感受する心の働き)・想(事物を思い描く心の働き)・行(心の意志的働き)・識(識別判断する心の働き)が、みな空(くう)であると悟れば、一切の苦厄から救われると見極めた。
舎利子(シャカ十大弟子の一人のシャーリプトラ)よ、色(物質や肉体)は、すべて空(因縁によって起こる仮の相で実体がないもの)に異ならず、実体がないもの(空)だからこそ、一時的な形あるもの(色)として存在するものである。この世にあるすべてのもの、すなわち色の真の姿は空であって、実体なきものである。しかし、空とは、一方的にすべてを否定する虚無ではなく、空は必ず色というそれぞれ個別の様相を取ってこの世に表れる。
心の四つの働き、受・想・行・識(感受作用・想念・意思・認識)も、まったく同じことである。舎利子よ、すべての事物や現象には、実体がないという性質があるから、もともと、生じるということもなく、滅するということもなく、汚れているとか、浄らかであるということもなく、増えることもなく、減ることもないのである。空の中に住すれば、色もなく、受・相・行・識という心の働きもなく、眼・耳・鼻・舌・身体という知覚器官も、心(意)もないし、形・音・香・味・触覚といった感覚作用の対象も、心の働きの対象もないし、眼識の領域から意識の領域に至るまでことごとく無いのである。
さらに、根源的な無知もないし、また無知が尽きることもなく、老死もなく、また老死の尽きることもなく、人間の生が苦しみであること(苦)も、煩悩(ぼんのう)による行為が集まって苦を生みだすこと(集)もなく、煩悩を絶滅して悟りの世界に達すること(滅)も、そしてその方法(道)もないのである。知ることもなく、また得ることもない。
かくて、空の真理を理解し、一切の物事に執着しない無所得の心境に達すればこそ、菩薩は、究極最高の知恵の完成を得た。かくして、心には何のさまたげもなく、さまたげがない故に恐怖もなく、転倒錯誤した一切の妄想から遠く離れ、悟りの境地に到達しているのである。
過去、現在、未来の諸仏も智恵の完成があったがゆえに、一切の真理をあまねく正しく知る最高の悟りを得たのである。したがって、次のように知るがよい。『般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)』(究極最高の知恵の完成という意味)こそが、偉大な真言(真実のことば、呪文)であり、悟りのための真言であり、この上なき真言であり、比較するものがない最上の真言である。
これこそが、一切の苦悩を除くものであり、偽りなき真実である。そこで最後に、究極最高の知恵の完成の真言を述べよう。すなわち次のような真言である。ギャーテイギャーテイ(往けよ、往けよ、彼岸に往けよ)、ハラソウギャーテイ(彼岸に完全に往き着く者よ)、ボジソワカ(それこそ悟りだ、めでたし)。ここに究極最高の知恵の心が完成する 。 【備考】 ・曹洞宗寺院『成道寺』(名古屋市)のホームページで、般若心経の読経を聞くことができます。 → http://www.jodoji.com/jodoji/shingyo2.mp3 【参考】 ・フリー百科事典ウィキペディア ・goo辞書(http://dictionary.goo.ne.jp/)など |
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2007.12.11 | ||||||||||||||||
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