コラム  ・花見と田の神信仰   
− 花見と田の神信仰 −
鹿児島県北薩摩地方の農村部にあるわが集落は、新年度の最初の日曜日に公民会(自治会)の初会と花見を開催する習わしになっていて、2015年の今年も4月5日(日)にすませました。花見といっても、毎年、花はほとんど散った中での花見になります。花が無いのに花見とは、どんな意義があるのでしょうか。
  
花見の起源をさかのぼれば、田の神信仰に結び付くと言われます。サクラのサやサナエ(早苗)のサ、サナボイ(あるいはサナブリ)のサは、田の神を意味し、サクラのクラは、神が宿るところ、つまり神の依り代を意味するそうです。
  
冬の期間、山に住んでいた山の神は、春になると里に降りてきて桜の木に宿ります。稲の種蒔きの準備をする頃になるとその合図に桜の花を咲かせます。人々は神を歓迎して桜の下で酒宴を開き、料理と酒でもてなし、今年の豊作と無病息災をお願いした
のです。
  
田植が始まると、神は田んぼに移って田の神となり農事を見守ります。無事田植えが終わるのを見届けると、また山に帰って行くのですが、人々は今度は『さなぼり』という田植え終了の祝宴を開いて、山にのぼる神を見送ったのでした。
  
公民館のある運動公園に植わっている数本の桜はどれもすっかり花が散って、葉桜となったなかでの花見でしたが、神はまだ桜の木に宿っていて、花見がどんなに盛り上がるか、楽しみにしていることでしょう。
  
ということで、花見を大いにはずませて、たっぷり、今年の豊作と無病息災のお願いをしました。
  
花見の日の桜の木 2015.04.05

2015.04.08
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