コラム  ・俳句を読むということ 〜 偕老のひなまつり   
− 俳句を読むということ 〜 偕老のひなまつり −
サトウハチロー作詞・河村光陽作曲の『うれしいひなまつり』は、お気に入り中のお気に入りの童謡です。ひな人形を飾って暮らす、繊細で上質な奥ゆかしい日本文化。日本に生まれて良かったと気づかされます。
 
ひなの国・九州。天領日田のひな祭り、筑後吉井のおひなさまめぐり、柳川のさげもんめぐり、八女ぼんぼりまつり 佐賀城下ひなまつり、人吉球磨は、ひなまつりなど、九州でも各地でひなまつりが開催されています。
 
さて、つぎの一句は、 SlowNet(スローネット)というシニア世代向けインターネットサイトの句会(2013年3月前期)に投句された作品で、特選に選ばさせて頂いた句です。
 
     偕老の一日灯せり雛祭  方舟
 
偕老(かいろう)とは、老いを偕(とも)にする意で、”ともに年をとること、夫婦が老年になるまでむつまじく連れ添うこと”をいいます。一日(ひとひ)は、一日中、終日と言う意味で、日を決めた一日(いちにち)という意味も含んでいるでしょう。
 
したがって、”睦まじく年を重ねた老齢の夫婦が、一日(いちにち)の終日、灯りを灯し続けたひなまつり”ということになります。描写された光景はそれだけのことですが、俳句を読むとは、描写された光景に投影された心情を味わうことに他なりません。
 
しかし、心情を味わうといっても散文詩のように作者の心情が説明されているわけではありませんので、どのように解釈するか、どのように読むかはもっぱら読者にまかされています。したがって、作者の句意とは異なる解釈をされることだってあるわけです。
 
そういう意味で、”俳句は詠まれたときから一人歩きする”とか”俳句は一人歩きの文学だ”とかいわれます。さらにいえば、作品が作者を離れて一人歩きをするさまが俳句の大事な要素であるといえるでしょう。
 
睦まじい老齢の夫婦が、一日(いちにち)日を決めて終日灯し続けるひなまつり、それはきっと若くして逝ってしまった娘を偲ぶ供養のひなまつりかも知れません。
 
あるいは先祖代々の雛道具を飾っての先祖供養のひなまつりだとすれば、日々安泰の暮らしに感謝し、これからの平穏を祈る老齢夫婦の気持ちが読み取れます。想像は広がっていき、自分を作者に置き換えてみます。
 
俳句を読むということは、俳句に描かれた光景を鏡にして、自分の心情(あるいは感覚)を映し出することであり、それは自分を見つめることに他なりません。そのことが俳句の最大の特徴ではないだろうかと思っています。
 

2013.03.18  
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