俳句鑑賞  ・母の日   
− 母の日 −

今年も5月の第二日曜日『母の日』がやってきます。横浜高島屋は、約20年前から母の日弁当を販売しているそうです。これまで、母の日のプレゼントには婦人雑貨などの定番品が根強い人気を得て来ましたが、昨年あたりから弁当の売り上げが伸びているそうです。


最近のお母さんたちは、好みの物は一通り買い揃えていることが多いため、物よりも一緒に過ごす時間を贈る傾向が定着しつつあるのではないかということのようです。(以上、神奈川新聞社運営のコミュニティーサイト・ローカルニュースより)


    母の日の来るよ不孝を量(はか)るため  福永耕二


鹿児島県川辺(かわなべ)町生まれの福永耕二(1938〜1980)は、地元大学に在学中、20歳の若さで水原秋櫻子(しゅうおうし)の主宰する俳誌『馬酔木(あしび)』の巻頭を飾るまでになります。大学卒業後、地元で教職に就きますが、水原秋櫻子のもとで俳句を学びたい気持ちを押さえ難く千葉県の私立市川高校へ転任します。


親に対する気持ちはあってもそれを行動で示すとなれば、女の子ほどまめでないのが男。ましてや、遠く離れた異郷にいる。母の日が来るたびに、何にもしていない、何もしてやれない自分の不甲斐なさが際立って感じられたのでしょう。


福永は、昭和46年(1971年)に、わずか32歳の若さで馬酔木の編集長を務めるまでになりますが、翌年の春、鹿児島にいる父を亡くし、いよいよ母を一人故郷に残すことになりました。つぎの句は父を亡くした翌年の夏に詠まれたものです。


    ひとり棲(す)む母を侮(あなど)り袋蜘蛛      福永 耕二
    雲青嶺(くもあおね)母あるかぎりはわが故郷   福永 耕二


久し振りに帰郷すると、母が台所で甲斐甲斐しく手料理を作ってくれています。母もだいぶん年老いたものだと思いながら、その様子をながめていると、天井からするすると蜘蛛が降りてきます。『母を侮り』という中七に、福永の自責の思いが詠み込まれています。


二つ目の句の青嶺(あおね)とは夏山のことです。背後にもくもくと積乱雲が沸きあがる夏の日の故郷の山々を思い出しながら、母に思いを馳せたのでしょう。この句は、千貫平という、東シナ海を望む薩摩半島南部の山の上に建てられた句碑に刻まれています。


昭和40年(1965年)に鹿児島を発って、俳句の情熱をもって上京した福永でしたが、その15年後に志半ばにして、42歳の若さでこの世を去りました。


川辺町では、福永耕二を記念して毎年、『少年少女かわなべ青の俳句大会』が開催されています。命日の12月4日の前後に受賞の式典が行われ、県内はもちろん他県から二万五千句以上の応募があるそうです。


昨年(2005年)の大会では、鹿児島市の池田学園・池田中学校一年、薗田千晴さんのつぎの句が最高賞の福永耕二賞に選ばれました。


    母の日にわたしの気持ちを花にする  薗田千晴
 

                                          (文中敬称略)
【参考】
・神奈川新聞社運営のコミュニティーサイト・ローカルニュース
 → http://www.kanalog.jp/news/local/entry_21146.html#comment
・福永耕二句集『踏歌』(1997年発行、邑書林句集文庫)

2006.05.03
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