レポート | ・蜂子皇子(はちこのおうじ) |
− 蜂子皇子(はちこのおうじ) −
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蜂子皇子(562〜641年)。飛鳥時代の男性皇族、修験道の人物で、出羽三山の開祖。欽明天皇23年( 562年)に崇峻天皇の第三皇子として誕生したと伝えられています。崇峻天皇5年(
592年)11月3日に、蜂子皇子の父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されます。 そのため、馬子から逃れるべく蜂子皇子は聖徳太子によってかくまわれ宮中を脱出して丹後国由良(現在の京都府宮津市由良)から海を船で北へと向いました。そして、現在の山形県鶴岡市由良の海岸に差しかかりました。 その時、八乙女浦にある舞台岩と呼ばれる岩の上で、八人の乙女が笛の音に合わせて神楽を舞っているのを見て、皇子はその美しさにひかれて、近くの海岸に上陸しました。八乙女浦という地名は、その時の八人の乙女に由来します。 蜂子皇子はこの後、どこからともなく現れた三本足の烏(ヤタガラス)に導かれて、羽黒山に登り羽黒権現を感得し、山頂に祠を創建しました。これが出羽三山開山の始まりだといわれます。 皇子は、さらに月山権現と湯殿山権現を感得し三山の開祖となりました。以来、出羽三山は、修験道を中心とした山岳信仰の場として現在も多くの修験者、参拝者を集めています。 蜂子皇子は人々の面倒をよく見て、人々の多くの苦悩を取り除いたことから、能除仙(のうじょせん)や能除大師、能除太子(のうじょたいし)などと呼ばれるようになりました。 現在に残されている蜂子皇子の肖像画は、気味の悪いものが多いですが、多くの人の悩みを聞いた結果そのような顔になったともいわれています。出羽三山神社にある皇子の墓(東北地方で唯一の皇族の墓)は、現在も宮内庁によって管理されています。(以上、蜂子皇子 - Wikipedia より)
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2017.06.28 | ||||
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